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2013年、当時の中日・谷繁元信捕手「オレが引き受ければ丸く収まるんだよな」

谷繁元信

■2024.01.19 中日スポーツ




■2024.01.19 中日スポーツ

あの日、谷繁さんは珍しく憔悴「オレが引き受ければ丸く収まるんだよな」“苦悩の2年間”がなければもっと選手として輝いていたのでは【番記者メモ】
2013年、当時の中日・谷繁元信捕手「オレが引き受ければ丸く収まるんだよな」

 「オレが引き受ければ丸く収まるんだよな

 2013年10月3日、広島戦(マツダ)の練習前だったと思う。中日に加入してから取材を続けてきた“谷繁番”にとって、2学年上の谷繁元信という選手は常に自信にあふれ、負けん気が強く、それでいて明るかった。それが、あの日は憔悴(しょうすい)しきっていた。力なくこうつぶやいた数日後、谷繁選手兼任監督が誕生した。

 当時、高木守道監督の退任が早々と決まると、チームは監督問題で揺れていた。球団内では立浪和義・現中日監督を推す声もあったが、就任したばかりの落合博満ゼネラルマネジャー(GM)が選んだのは谷繁選手兼任監督。谷繁さんはその年、130試合に出場。全盛時とまではいかないまでも、堂々の正捕手だった。それが悩んだあげく、チームのためと考えて大役を引き受けた。

 兼任監督1年目の14年が91試合で、2年目が30試合。15年に史上2人目の通算3000試合出場を果たし、野村克也の記録も抜いて球界の頂点に立った。だが、世代交代したい監督と、生き残りたい選手の2役をこなす選手兼任監督が悩みながら過ごしていたのは言うまでもない。「選手・谷繁」に全精力を傾けられなかったのも事実だ。その結果、チームの順位は4位と5位。本人は言い訳をしなかったが、分業制が進み、作戦も複雑な現代の野球での兼任監督は、やはり無理な話だった。

 「アイツの解説、面白くないでしょ。やっぱ面白くしないとね」。15年限りで選手を引退した谷繁さんは16年途中に成績不振で休養。その数年後、ネット裏で再会した谷繁さんはいつもの元気で、こう話していた。

 確かに谷繁さんの解説は面白い。殿堂入りできた理由も、この負けん気と何にでも適応できる考える力だと思っている。その力をもう一度グラウンドで発揮してほしいと願うのは、記者だけではないと思う。

(兼田康次=2007~16年中日担当)

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