■2022.01.21 東海ラジオ
『大澤広樹のドラゴンズステーション』
…
お便り「Q.野球殿堂入りおめでとうございます。長年、32年続けられてきたことに頭が下がります。本当に野球が好きなんですね」
大澤アナ:
これやっぱり昌さん、
「野球が好き」だと一言に凝縮されますか?
山本昌:
まぁ「好きだった」ですよねぇ。
あとはまぁ常に上の選手がいたというところも、
自分より上の選手がずっといるというところも負けず嫌いな僕には。
あともう1つ、
晩年はでもやっぱり「野球を辞めるのが怖かった」というのが1つありますね。
大澤アナ:
「野球をやめるのが怖かった」?
これはどういう意味ですか?
山本昌:
これは野球しかしてこなかったので、
まだ社会に出たことがないみたいなもんなんですよ。
成人はしていますけどもね、
18歳で寮に入って、
寮母さんとか、寮で球団に色々な面倒を見てもらって何も知らない、
そのまま寮を出て、野球をずっとやってきて、
社会人になったことのないような感じだったので、
「自分に野球が辞めたら何ができるのかな?」というね。
例えば今は解説の仕事をいただいて、
スポーツコメンテーターとして活動させてもらってますけども、
「いや、僕、喋れるんだろうか?」とか、
現役時代ですよ、
「ああいうふうに試合の解説とかできるのかな?」とか、
「なんか講演活動頼まれたら喋れるんだろうか?」とか、
「野球教室なんかでも教えられるかな?」というのがあって、
野球は何をやればいいのか分かっていたので、
年を取って練習はキツイんですけども、
そういうところで「辞める自分が何ができるのかな?」、
「野球しかできないんなら野球長くやろう」ってのが最終的に最後10年くらいは。
大澤アナ:
(笑)
最後10年!?(笑)
山本昌:
10年くらい、そういう気持ちでね、
「辞めるのが怖かった」というのは正直ありますね。
大澤アナ:
あ~!
もちろん私はご謙遜も含まれているとは思いますが、
そういう気持ちも昌さんにはあったんですね。
山本昌:
だって社会に出たことないんですよ…?
大澤アナ:
言われて見れば確かにそうなんですよね。
山本昌:
だってもちろん会社勤めしたことないじゃないですか。
それでまだそんなに「みなさん上手く喋るなぁ」ってね、
例えば先に辞めた古田くんであったり、「上手く喋るなぁ」とか。
「上手く話、場をまとめるなぁ」とか。
そういうのを見ていて「自分にはああいうのできないよねぇ…」というのがあったので、
まぁなんとか自分がやり方が分かっている、
どの程度になればどうなるのが分かっている野球しかないなというのは、
だったら1年でも長くというのは。
そこはもう最後ずっと思っていて、
あとさっき言ったようにね、
常に上がいた、
まだ自分はやれる、体も元気だったというのももちろんあるんですけども、
やっぱり考えの底にはやっぱり「怖い」というのがもちろんありましたよね。
大澤アナ:
へぇ~!
『大澤広樹のドラゴンズステーション』
📻東海ラジオ
— ガッツイッター(東海ラジオ) (@guts1332) January 21, 2022
大澤広樹のドラゴンズステーション
スタジオには野球殿堂入りしました!#山本昌 さんです🏆✨
\㊗️おめでとうございます/
📩メッセージは
dora@tokairadio.co.jp まで!#東海ラジオ #ドラステ #ドラゴンズ pic.twitter.com/R3b2DCqZgS
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お便り「Q.野球殿堂入りおめでとうございます。長年、32年続けられてきたことに頭が下がります。本当に野球が好きなんですね」
大澤アナ:
これやっぱり昌さん、
「野球が好き」だと一言に凝縮されますか?
山本昌:
まぁ「好きだった」ですよねぇ。
あとはまぁ常に上の選手がいたというところも、
自分より上の選手がずっといるというところも負けず嫌いな僕には。
あともう1つ、
晩年はでもやっぱり「野球を辞めるのが怖かった」というのが1つありますね。
大澤アナ:
「野球をやめるのが怖かった」?
これはどういう意味ですか?
山本昌:
これは野球しかしてこなかったので、
まだ社会に出たことがないみたいなもんなんですよ。
成人はしていますけどもね、
18歳で寮に入って、
寮母さんとか、寮で球団に色々な面倒を見てもらって何も知らない、
そのまま寮を出て、野球をずっとやってきて、
社会人になったことのないような感じだったので、
「自分に野球が辞めたら何ができるのかな?」というね。
例えば今は解説の仕事をいただいて、
スポーツコメンテーターとして活動させてもらってますけども、
「いや、僕、喋れるんだろうか?」とか、
現役時代ですよ、
「ああいうふうに試合の解説とかできるのかな?」とか、
「なんか講演活動頼まれたら喋れるんだろうか?」とか、
「野球教室なんかでも教えられるかな?」というのがあって、
野球は何をやればいいのか分かっていたので、
年を取って練習はキツイんですけども、
そういうところで「辞める自分が何ができるのかな?」、
「野球しかできないんなら野球長くやろう」ってのが最終的に最後10年くらいは。
大澤アナ:
(笑)
最後10年!?(笑)
山本昌:
10年くらい、そういう気持ちでね、
「辞めるのが怖かった」というのは正直ありますね。
大澤アナ:
あ~!
もちろん私はご謙遜も含まれているとは思いますが、
そういう気持ちも昌さんにはあったんですね。
山本昌:
だって社会に出たことないんですよ…?
大澤アナ:
言われて見れば確かにそうなんですよね。
山本昌:
だってもちろん会社勤めしたことないじゃないですか。
それでまだそんなに「みなさん上手く喋るなぁ」ってね、
例えば先に辞めた古田くんであったり、「上手く喋るなぁ」とか。
「上手く話、場をまとめるなぁ」とか。
そういうのを見ていて「自分にはああいうのできないよねぇ…」というのがあったので、
まぁなんとか自分がやり方が分かっている、
どの程度になればどうなるのが分かっている野球しかないなというのは、
だったら1年でも長くというのは。
そこはもう最後ずっと思っていて、
あとさっき言ったようにね、
常に上がいた、
まだ自分はやれる、体も元気だったというのももちろんあるんですけども、
やっぱり考えの底にはやっぱり「怖い」というのがもちろんありましたよね。
大澤アナ:
へぇ~!
山本昌さん、ネクタイは12色を用意している!? その理由は…?
レジェンド・山本昌さん「高橋周平が1番極悪。高橋周平と京田が僕の中では1番の極悪コンビだったんですけどね…何回『アーレックス』と言ったか」
野球を辞める怖さと戦い続けて10年間。大記録の数々を打ち立てました。