■2021.08.06 東海ラジオ
『大澤広樹のドラゴンズステーション』
…
大澤アナ:
今日ご出演いただくのは2010年ドラフト5位入団、2011年から2013年投手としてドラゴンズ、
そして2014年から2018年はマネージャーとしてチームを支えておりました関啓扶さんと電話が繋がっています。
スタジオに今日は鈴木孝政さんで、関さんが入団2年目,3年目の2軍監督だったんですよね。
鈴木孝政:
久しぶりだねぇ。
関はなぁ、苦労したよな…(笑)
関:
そうですね、苦労しましたね(笑)
まさか自分がこんなに苦労するとは正直思っていなかったんですけど、
けど逆に良い経験になったのかなというのは今思えばですけど思いますね。
大澤アナ:
これいわゆる表現としては「イップス」というのが当てはまるわけですよね。
関さん、ちなみに「おかしいな」と思ったのっていつぐらいだったんですか?
関:
1年目の2月のキャンプの時に、自分は真っ直ぐがちょっとシュートするような感じのイメージだったんですけど、
それがいわゆる真っスラ、真っ直ぐがちょっとスライダー気味に、逆方向に真っ直ぐが動くという症状が出て、
その時に「指のかかりが何か少しおかしいのかな」とおうのは感じてはいたので、そこからですね。
大澤アナ:
こうやって1回気になり始めるとちょっと動きがおかしくなってくるんでしょうね。
鈴木孝政:
結局、引きずり、そのあとトラウマですよね。
あと関ね、イップスになる人って言いにくいんだけど凄いバッターを相手にした時に、
例えばフリーバッティングで、練習でストライク入んなくなっちゃった、緊張のあまり、
そういうのをきっかけになっちゃう人も結構いるんだよね。
だから、そういうことはなかったんだ?
言いにくいと思うんだけどね。
大澤アナ:
何かきっかけというのはあったんですか?
関:
きっかけ、自分はブルペンで投げていてそう思い始めてきていたので、
あとバッティングピッチャーをやる時にL字ネットが嫌いだったので、
それをやっぱりプロ野球になると2箇所でバッティングをするので、その微妙な意識もあったかもしれないですけど。
ましてや1年目だったので、前のネットをもうちょっと前に出してもいいのかどうかも正直分からなかったのでというのは正直ありますね。
鈴木孝政:
ちょっと怖そうなバッター、先輩が相手だと本当に投げにくいもんね。
関:
正直、意識はしちゃいますね(笑)
鈴木孝政:
それでボール・ボール・ボールと3球くらい続くと嫌な顔をする人がいますからね。
それで、まいっちゃう。
関:
(笑)
大澤アナ:
だから関さんと鈴木さんが同じユニフォームで出会った時にはもうイップスの状態だったわけですよね、入団2年目ですから。
鈴木孝政:
だから本人も苦労しましたけどもコーチも苦労しましたよ。
関本人もコーチがこれだけ色々な力を貸してくれると、そういうのもちょっと重荷になったんじゃなのかな。
関:
僕からしたら、それだけ見てくれているという、
「だから何とかしないといけない」という気持ちの方が強かったですよね、当時は。
鈴木孝政:
辛かったよね、野球やるのが。
そうでもなかったかな?
関:
正直、野球をやるのは本当に毎朝起きて「今日も野球か…」と辛い部分は。
鈴木孝政:
そうだよな、朝起きるのが辛いよね、夜が明けるのが辛くなってくるんだよな、分かるなそれはな。
大澤アナ:
でも関さん、3年目には2軍戦で投げたわけじゃないですか、
よくそこまで持っていきましたね。
関:
色々な人の力添えがあったというのもありますし、
最終的には自分の吹っ切れないという部分もあって「もう全部、恥ずかしさとかどこのいってもいいから」というのも全部消して望んだら、ちょっとは良い方向に向かったのかなというのは。
周りの目を気にしていた自分がいたので、そういったところもそうなった原因の1つでもあったのかなとは思うので、
それをどかすことによって多少なりとも前に進めたのかなという部分はありましたね。
鈴木孝政:
だから元気な選手には感じないことを感じながら投げないといけないもんね。
よくゲームで投げたよね。
コーチから「使ってくれ」と頼まれて、使うわけですけど使う方もハラハラ(笑)
「ストライクが入るかな?」という。
関:
そうですね。
今思うとよく「関」と言う名前を勇気を持って言ってくれたなと(笑)
鈴木孝政:
申し訳ないけどね。
プロ野球入ると成績残した人、そうでない人、そうでない人の人数の方がずっと多いわけですよね。
で、関がマネ-ジャーになったでしょ、あれは球団に勧められて?
関:
そうですね。
戦力外を伝えられた時に球団のほうからは「会社の中で働いてほしいと思っている」と言っていただいて、
トライアウトを受けるのか会社に残るのかという2択の中で最終的には会社に残らせていただく決断にしたんですけども。
鈴木孝政:
最初は関の野球技術を球団が買ったんだけど、その次には関の人間性を買ったわけだよね。
俺は見ていて「ああ、良かったな」と思ったの、マネージャーになって。
また野球に携わって縁の下の力持ちというか、携われるんだからね。
それで転職というか、辞めたでしょ、これは自分の意志から?
関:
そうですね、自分の意志からですね。
大澤アナ:
だからチームを離れた時、私もビックリしたんですけど、
しかも歯科技工士の専門学校に行って、なんと今年の5月から多治見市のヤーマン歯科で歯科技工士として働いていると!
素晴らしいじゃないですか。
関:
いえ、ありがとうございます(笑)
鈴木孝政:
立派だね。
やっぱり人間性ですよ、人柄だと思いますよ。
それとねプロ野球であまり良いイメージがなかったと思うけど、今の仕事でプロ野球にいた3年間で役に立っていることはありますか?
関:
やっぱり僕は苦しい思いを経験しているので、
やっぱり別の観点ですけど歯でも苦労をされている方もいらっしゃるので、
やっぱりそこに上手くアプローチができるんじゃないのかなというのは思いますね。
鈴木孝政:
それがプロ野球にいた短い時間だったけど、財産になっているわけだ。
関:
そうですね、凄くなっていますね。
鈴木孝政:
そういう話を聞いてホッとする。
大澤アナ:
そうですね。
あの3年間が無駄ではなかったということですね。
『大澤広樹のドラゴンズステーション』
東海ラジオ『大澤広樹のドラゴンズステーション』、きょうの「ドラゴンズテレフォン」は2011〜13年に投手として、その後5年間はマネージャーとして支えた関啓扶さんです。#東海ラジオ #ドラゴンズ #ガッツナイター #ドラステ #ドラゴンズステーション pic.twitter.com/plTOLgaIxH
— 大澤広樹(東海ラジオアナウンサー) (@osawahiroki) August 6, 2021
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大澤アナ:
今日ご出演いただくのは2010年ドラフト5位入団、2011年から2013年投手としてドラゴンズ、
そして2014年から2018年はマネージャーとしてチームを支えておりました関啓扶さんと電話が繋がっています。
スタジオに今日は鈴木孝政さんで、関さんが入団2年目,3年目の2軍監督だったんですよね。
鈴木孝政:
久しぶりだねぇ。
関はなぁ、苦労したよな…(笑)
関:
そうですね、苦労しましたね(笑)
まさか自分がこんなに苦労するとは正直思っていなかったんですけど、
けど逆に良い経験になったのかなというのは今思えばですけど思いますね。
大澤アナ:
これいわゆる表現としては「イップス」というのが当てはまるわけですよね。
関さん、ちなみに「おかしいな」と思ったのっていつぐらいだったんですか?
関:
1年目の2月のキャンプの時に、自分は真っ直ぐがちょっとシュートするような感じのイメージだったんですけど、
それがいわゆる真っスラ、真っ直ぐがちょっとスライダー気味に、逆方向に真っ直ぐが動くという症状が出て、
その時に「指のかかりが何か少しおかしいのかな」とおうのは感じてはいたので、そこからですね。
大澤アナ:
こうやって1回気になり始めるとちょっと動きがおかしくなってくるんでしょうね。
鈴木孝政:
結局、引きずり、そのあとトラウマですよね。
あと関ね、イップスになる人って言いにくいんだけど凄いバッターを相手にした時に、
例えばフリーバッティングで、練習でストライク入んなくなっちゃった、緊張のあまり、
そういうのをきっかけになっちゃう人も結構いるんだよね。
だから、そういうことはなかったんだ?
言いにくいと思うんだけどね。
大澤アナ:
何かきっかけというのはあったんですか?
関:
きっかけ、自分はブルペンで投げていてそう思い始めてきていたので、
あとバッティングピッチャーをやる時にL字ネットが嫌いだったので、
それをやっぱりプロ野球になると2箇所でバッティングをするので、その微妙な意識もあったかもしれないですけど。
ましてや1年目だったので、前のネットをもうちょっと前に出してもいいのかどうかも正直分からなかったのでというのは正直ありますね。
鈴木孝政:
ちょっと怖そうなバッター、先輩が相手だと本当に投げにくいもんね。
関:
正直、意識はしちゃいますね(笑)
鈴木孝政:
それでボール・ボール・ボールと3球くらい続くと嫌な顔をする人がいますからね。
それで、まいっちゃう。
関:
(笑)
大澤アナ:
だから関さんと鈴木さんが同じユニフォームで出会った時にはもうイップスの状態だったわけですよね、入団2年目ですから。
鈴木孝政:
だから本人も苦労しましたけどもコーチも苦労しましたよ。
関本人もコーチがこれだけ色々な力を貸してくれると、そういうのもちょっと重荷になったんじゃなのかな。
関:
僕からしたら、それだけ見てくれているという、
「だから何とかしないといけない」という気持ちの方が強かったですよね、当時は。
鈴木孝政:
辛かったよね、野球やるのが。
そうでもなかったかな?
関:
正直、野球をやるのは本当に毎朝起きて「今日も野球か…」と辛い部分は。
鈴木孝政:
そうだよな、朝起きるのが辛いよね、夜が明けるのが辛くなってくるんだよな、分かるなそれはな。
大澤アナ:
でも関さん、3年目には2軍戦で投げたわけじゃないですか、
よくそこまで持っていきましたね。
関:
色々な人の力添えがあったというのもありますし、
最終的には自分の吹っ切れないという部分もあって「もう全部、恥ずかしさとかどこのいってもいいから」というのも全部消して望んだら、ちょっとは良い方向に向かったのかなというのは。
周りの目を気にしていた自分がいたので、そういったところもそうなった原因の1つでもあったのかなとは思うので、
それをどかすことによって多少なりとも前に進めたのかなという部分はありましたね。
鈴木孝政:
だから元気な選手には感じないことを感じながら投げないといけないもんね。
よくゲームで投げたよね。
コーチから「使ってくれ」と頼まれて、使うわけですけど使う方もハラハラ(笑)
「ストライクが入るかな?」という。
関:
そうですね。
今思うとよく「関」と言う名前を勇気を持って言ってくれたなと(笑)
鈴木孝政:
申し訳ないけどね。
プロ野球入ると成績残した人、そうでない人、そうでない人の人数の方がずっと多いわけですよね。
で、関がマネ-ジャーになったでしょ、あれは球団に勧められて?
関:
そうですね。
戦力外を伝えられた時に球団のほうからは「会社の中で働いてほしいと思っている」と言っていただいて、
トライアウトを受けるのか会社に残るのかという2択の中で最終的には会社に残らせていただく決断にしたんですけども。
鈴木孝政:
最初は関の野球技術を球団が買ったんだけど、その次には関の人間性を買ったわけだよね。
俺は見ていて「ああ、良かったな」と思ったの、マネージャーになって。
また野球に携わって縁の下の力持ちというか、携われるんだからね。
それで転職というか、辞めたでしょ、これは自分の意志から?
関:
そうですね、自分の意志からですね。
大澤アナ:
だからチームを離れた時、私もビックリしたんですけど、
しかも歯科技工士の専門学校に行って、なんと今年の5月から多治見市のヤーマン歯科で歯科技工士として働いていると!
素晴らしいじゃないですか。
関:
いえ、ありがとうございます(笑)
鈴木孝政:
立派だね。
やっぱり人間性ですよ、人柄だと思いますよ。
それとねプロ野球であまり良いイメージがなかったと思うけど、今の仕事でプロ野球にいた3年間で役に立っていることはありますか?
関:
やっぱり僕は苦しい思いを経験しているので、
やっぱり別の観点ですけど歯でも苦労をされている方もいらっしゃるので、
やっぱりそこに上手くアプローチができるんじゃないのかなというのは思いますね。
鈴木孝政:
それがプロ野球にいた短い時間だったけど、財産になっているわけだ。
関:
そうですね、凄くなっていますね。
鈴木孝政:
そういう話を聞いてホッとする。
大澤アナ:
そうですね。
あの3年間が無駄ではなかったということですね。
元中日・関啓扶さん、歯科技工士の国家資格にも合格して新たな道へ歩み始める【動画】
中日・福留孝介「田中大輔、この景色を覚えておけよ。この風景を見るためにやるんだぞ」
今は新しい道を歩み始めている関さん。イップスの過去を明かしてくれました。