■2024.01.17 Number Web
「人的補償の素晴らしさも、もっと知ってほしい」巨人→中日移籍の当人が18年越しに明かした〝プロテクト外〟の本音〈FA制度を考える〉(小西斗真)#npb #プロ野球 #人的補償 #中日ドラゴンズ #dragons #ソフトバンク #ライオンズ #NumberWeb https://t.co/5UA92EQzhr
— Number編集部 (@numberweb) January 17, 2024
■2024.01.17 Number Web
「人的補償の素晴らしさも、もっと知ってほしい」巨人→中日移籍の当人が18年越しに明かした〝プロテクト外〟の本音〈FA制度を考える〉
「俺を選べ!」と念じて…
このシステムが始まってから、小田は4人目の移籍だが野手第1号でもあった。以降、甲斐野で36人目。14年に引退するまで9シーズンの在籍期間は、小田が話すように「元最長記録」であった。現在は赤松真人(阪神-広島、08~19年)の12シーズン、一岡竜司(巨人-広島、14~23年)の10シーズンに抜かれたが、新天地で重宝され、愛されたのは間違いない。
「自分が補償選手となる予感はありましたよ。ただ。あの年(05年オフ)の巨人は西武からも豊田(清)さんを獲得していたので、どちらかわからなかった。そんな中で『頼む、中日来い! 俺を選べ!』って念じていたんですよ。それが通じたような形になったので、ものすごくうれしかった」
中日を熱望していた理由は「谷繁元信さんがいたからです」。絶対の正捕手が君臨していた一方で、二番手捕手は手薄だった。巨人には阿部慎之助がいて、村田善則も控えていた。小田が目指したのはレギュラーではなかったが、三番手として一軍にしがみつくつもりもなかった。輝きを放ち、存在感が際立つ二番手だったのだ。
自身が思い描き、落合が望んだ通り、小田は理想的な二番手捕手となって谷繁とチームを支えた。在籍9年で出場285試合、78安打、29打点、1本塁打。数字をはるかに上回る存在感が、確かにあった。ベンチからすれば谷繁に万が一の事態が起こった時も、安心して守りを任せられる捕手としての力量。とりわけ最年長の山本昌とは相性が良く、専属捕手としてリードした。
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小田コーチが明かしました。