■2026.07.25 CBCラジオ
『若狭敬一のスポ音』

…
若狭アナ:
トップ選手になるために必要なことを涌井秀章投手にも聞いてみた。
先週は侍ジャパンの前監督・井端弘和さんに「トップ選手になるために必要なことは何ですか?」と聞きました。
答えはズバリ「究極の負けず嫌いである」ことでしたね。
入団してね、2年間はほぼ戦力ではなかった井端さん、
負けず嫌いを発揮しまして、
自分の持ち味を伸ばすための練習を徹底しました。
ハードワークしました。
3年目から1軍出場が増え、やがてレギュラーを奪取しました。
その頃、負けず嫌いの矛先は敵チームのエースや敵チームのショートに向けられ、
「もっともっと練習するぞ」と、
さらにハードワークを課し、やがて日本代表になりました。
「さぁ、ショートで出られるのかな?」、
いやいや、そこには宮本慎也さん、松井稼頭央さんが立ちふさがってきました。
「彼らを追い抜かなければいけない」ということで自らあの落合ノックを浴びに行った。
ハードワークを自ら課したという話をしました。
「あぁ、やっぱり負けず嫌いが大事なんだなぁ」と思った次第です。
今週、炎天下のナゴヤ球場に行きまして、
トップ選手、見つけました。
涌井秀章投手、22年目、40歳。
1年目に初勝利しました。
彼は当時、西武ライオンズの選手でした。
2年目から5年連続2ケタ勝利。
3年目、2007年、松坂大輔さんがメジャーに移籍したため、
もう実質、この年からエースです。
高卒3年目ですよ。
で、高卒4年目、2008年、22歳で北京オリンピック。
2009年、高卒5年目でWBC。
もう調べれば調べるほど、早っ!
早いよ!成長!成熟が!凄い!(笑)
高卒5年目でもうあの連覇のWBCのメンバーだったんですよね、涌井投手って(笑)
これはもう取材対象として完璧だと思って聞きました。
「涌井さん、トップ選手になるために何が必要ですか?」、
涌井:
う~ん…。
と、首をひねりました。
「この話、井端弘和さんに先日聞きまして、井端さんは『負けず嫌い』っていう答えだったんですけどね」、
涌井:
う~ん…ごめんなさい。
あまりネタにならなくて。
と、再び首を傾げました。
あら?
よし、じゃあちょっと質問を変えよう。
「涌井さんは横浜高校から西武に入団して、プロって凄いなとか、もっともっと自分がレベルアップしないといけないなとか思いませんでしたか?」、
涌井:
う~ん…、
まぁ、正直、凄いなと思ったのは同じチームの松坂さんと西口さんだけでしたね。
はい。
十分プロでやれるなと思いました。
「えっ?えっ?じゃあ、ピッチャーじゃなくて、バッター、バッター。バッターはどうですか?」、
涌井:
いや、そんなにいなかったですね。
1年目のキャンプ終わって、オープン戦も抑えましたし、
開幕ローテにも入りましたし、
ただ、ちょっと開幕前に胃腸炎を患って、
開幕してからは思うようには行きませんでしたけど。
「えっ?ちょっと待って。高卒の1年目でもうやれると思ってたのか」と(笑)
私ね、ここで猛省しました。
井端弘和さんは亜細亜大学からドラフト5位で中日に入りました。
当時、まぁ、ドラフトの同期が川上憲伸さんでしたから、
そこまでね、有名な選手ではなかったんですよ、井端弘和は。
ほぼ無名だったんです。
プロ入り後、血のにじみ出るような努力でトップ選手になった選手。
で、一方、涌井秀章というピッチャーは、
私もバカでした!
もう高校時代から「松坂2世」と騒がれたスター選手なんです。
「あっ、しまった、そうか。才能あふれるごく一部の「天才」に、
まぁ、先週、なんか井端さんと話をして僕も良い学びを得たから、
「これも涌井さんから得られるだろう」と思って、
天才に聞いちゃった。
天才はもうだって、もう天才なんだもん。
努力とか、壁を感じて感じてどうとかじゃなくて、
「もう凄い人に、どうやったら凄くなれますか?」なんて、
また愚かな質問をしたなぁと思っていたんですが、
ポロッと涌井さんが、
涌井:
しいて言えば体じゃないですかね。
結局、丈夫なヤツしか練習できませんから。
と、やっと答えが出てきました。
それが「体」でした。
ちょっと私は、食い下がりました。
「じゃあ、涌井さん、あなたの丈夫な体でいっぱい練習した。ハードワークしたっていうのはいつですか?例えば、西武に入ってとかね、侍のユニフォームも着て、もっともっと世界でとか、いつですか?」、
涌井:
あぁ、もうそれはハッキリ。
高2の秋から高3の夏までです。
そうです。
この話、実は一度、「スポ音」でしているんです。
高校2年生の秋、エースナンバー1をつけた涌井秀章擁する横浜高校は、
翌年の選抜をかけた神奈川県大会で、
まさかまさか、横浜隼人という高校に負けたんです。
その試合を最後に涌井投手はピッチャーをクビになりました。
一時期、センター、外野をしていていたんです。
しかし、これは実際は、横浜高校の渡辺監督、小倉部長による、
「涌井秀章レベルアップ計画」のスタートだったんです。
その日から地獄が始まりました。
横浜高校名物のダービー、
これは小倉部長が競馬が好きだったから「ダービー」と名付けられたそうなんですが(笑)
ホームベースありますね。
そこからまずライトのポールに走ります。
で、ライトから右中間、センター、左中間、レフトのポールにたどり着き、
レフトからホームに帰ってくるおよそ400mを走るランニングメニューが、
横浜高校名物のダービー。
設定タイムがあります。
その設定タイムを1秒でもオーバーすると本数に入れてくれません。
全体練習が始まる前に、
そのダービーを何本も何本も走ります。
その後、アメリカンノック、普通のノック、下半身強化、
100キロ近い小倉部長を肩車してのスクワット、
防具をつけてのピッチャーライナーノック、バッティング練習もします。
そして、投内連携。
よくキャンプで見ますよね。
ファーストゴロ打ってピッチャーがベースカバー、あんな感じ。
だいたいキャンプで見る時ってピッチャー10人ぐらいいますよね。
10人以上の時もあって、
なんとなく見ていて、「あ、これは楽な練習だな」と思い気や、
横浜高校これを2人や3人でやります、
ピッチャーは。
もうぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるずーっと走っているんです。
「あぁ!あぁ!もう立てない!もう動けない!」といったところで、
とどめのダービー!
もう聞くだけで私は気絶しそうになりました。
ピッチャーをクビになったはずが、
いつしかピッチャー陣に涌井投手も加わり、
この練習メニューの途中で監督や部長が、
「もういいぞー」と下級生や背番号2ケタのピッチャーには言うんですが、
最後の最後まで涌井秀章が残り、
この地獄のメニューをこなします。
これがなんと高2から、毎日毎日、高3の夏の神奈川県大会に突入しても続いたんです。
涌井投手も人間です。
くじけそうになります。
すると小倉部長が「松坂はもっとやったぞ!」と言うそうです。
ちょっと声高めだそうです。
「いや、松坂さんじゃねぇし」と涌井投手も思いながらも、
伝統校のエースナンバーを背負う男の責務と感じ、
これを乗り越えました。
この問答無用の激しく厳しい追い込みハードワークが、
涌井というピッチャーを格段にレベルアップさせていったんです。
涌井投手は当時を振り返ってこう言いました。
涌井:
僕、高校ジャパンに選ばれて、
合宿で他の高校の選手の練習メニューとか聞いたんですけど、
間違いなくあの年の高校3年生で、
僕が日本一練習していたと思います。
あんなメニューやっている選手、1人もいませんでした。
この会話に柳投手が加わりました。
柳投手も横浜高校出身です。
柳:
いやぁ、若狭さん、
横浜の練習、マジやばいっす。
僕は走るメニューが本当に苦手だったんで、
涌井さんほどできなかったんですが、
毎日、自分の限界以上の練習をやらされるんです。
で、僕、本当に走れなかったんで、
もう倒れて動けないときに小倉部長が「涌井はもっと走ってたぞ!」って言うんです。
「涌井じゃねぇし」ってもう毎回思っていたんですけど、
やっぱり横浜のエースは、
これを乗り越えなきゃいけないんだなぁと思って、
正直、3年間でめっちゃ根性はつきましたよ。
「その辺の奴らに負けてたまるか」という根性はつきました。
と。
先週の井端さんと今週の涌井投手の答え。
井端さんは負けず嫌い、
涌井投手は「体」がトップ選手になるために必要だと言いました。
入団時の知名度、井端さんはほぼ無名、失礼ながら。
涌井投手はスター。
ドラフト5位とドラフト1位。
色々と異なる点が多いんですが、
共通していることはですね、
トップ選手になる人は「必ず」です。
若い時にハードワークをしているということです。
涌井投手は入団前だったんです。
井端選手も当然、堀越学園、亜細亜大学と厳しい厳しい練習はしていたと思うんですが、
「本当に自分をガンガンに追い込んだのは中日ドラゴンズに入団してからでした」
今は量より質が求められ、
指導者の経験や指導者の強制よりも練習1つ1つを見ても、
科学的根拠とかデータが選手側から求められる時代です。
強制の指導というのは、ハラスメントと捉えられる時代です。
ひょっとしたら今は、
若い時に必要なハードワークをさせることも、
ひょっとしたら選手自らがすることも難しい時代なのかもしれないと凄く感じました。
柳投手がポロッと言いました。
柳:
いやぁ、若狭さん、
自分のね、限界を超える追い込みって、
自分じゃできないんすよ。
やっぱり人間って自分かわいいんすよ。
無理なんすよ。
人にやらされないと厳しいんですよね。
この会話に長年、ドラゴンズに携わる裏方さんも加わりました。
中日ドラゴンズ裏方:
今はキャンプでも全員に同じハードメニューを課すことは難しくなっています。
みんなプロですから、
それぞれのやり方があって、
それもこちら側としては尊重しなければいけません。
「じゃあ、なかなかね、強制練習が難しい今、自ら率先してキャンプ中とかでも追い込んでいる選手いますか?」、
中日ドラゴンズ裏方:
そうですね。
まぁ松山とかですかね。
と、その裏方さんは答えました。
涌井投手と柳投手にも聞きました。
「今、若手で、自らハードに追い込んでいる選手います?」。
2人の口から同じ選手の名前が出てきました。
その名前は「根尾昂」でした。
ひょっとしたら今はプロ野球に限らず、
学校や地域でスポーツを指導する人、
あるいは企業で部下を育成する人、
みんな、指導法とか接し方とかが難しいと感じている人が多いと思います。
昔の常識は、今の非常識。
だからこそ現役選手本人が高い意識を持って、
自分の限界を超える追い込みを自ら課すことが重要なんだと思いました。
井端さん、涌井投手、柳投手、裏方さん、
みんなの話を総合して言えることは、
当たり前ですが1点。
トップ選手になるために必要なことは若い時のハードワークです。
『若狭敬一のスポ音』

明日の「スポ音」コラムは「トップ選手になるために必要なことを涌井秀章投手にも聞いてみた」と題して語ります。井端弘和さんの答えは「究極の負けず嫌い」でしたが、ベテラン右腕の答えは?横浜高校名物ダービーとは?お楽しみに! pic.twitter.com/cFHVXlJPUK
— 若狭敬一のスポ音 (@cbcspoon1053) July 24, 2026
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若狭アナ:
トップ選手になるために必要なことを涌井秀章投手にも聞いてみた。
先週は侍ジャパンの前監督・井端弘和さんに「トップ選手になるために必要なことは何ですか?」と聞きました。
答えはズバリ「究極の負けず嫌いである」ことでしたね。
入団してね、2年間はほぼ戦力ではなかった井端さん、
負けず嫌いを発揮しまして、
自分の持ち味を伸ばすための練習を徹底しました。
ハードワークしました。
3年目から1軍出場が増え、やがてレギュラーを奪取しました。
その頃、負けず嫌いの矛先は敵チームのエースや敵チームのショートに向けられ、
「もっともっと練習するぞ」と、
さらにハードワークを課し、やがて日本代表になりました。
「さぁ、ショートで出られるのかな?」、
いやいや、そこには宮本慎也さん、松井稼頭央さんが立ちふさがってきました。
「彼らを追い抜かなければいけない」ということで自らあの落合ノックを浴びに行った。
ハードワークを自ら課したという話をしました。
「あぁ、やっぱり負けず嫌いが大事なんだなぁ」と思った次第です。
今週、炎天下のナゴヤ球場に行きまして、
トップ選手、見つけました。
涌井秀章投手、22年目、40歳。
1年目に初勝利しました。
彼は当時、西武ライオンズの選手でした。
2年目から5年連続2ケタ勝利。
3年目、2007年、松坂大輔さんがメジャーに移籍したため、
もう実質、この年からエースです。
高卒3年目ですよ。
で、高卒4年目、2008年、22歳で北京オリンピック。
2009年、高卒5年目でWBC。
もう調べれば調べるほど、早っ!
早いよ!成長!成熟が!凄い!(笑)
高卒5年目でもうあの連覇のWBCのメンバーだったんですよね、涌井投手って(笑)
これはもう取材対象として完璧だと思って聞きました。
「涌井さん、トップ選手になるために何が必要ですか?」、
涌井:
う~ん…。
と、首をひねりました。
「この話、井端弘和さんに先日聞きまして、井端さんは『負けず嫌い』っていう答えだったんですけどね」、
涌井:
う~ん…ごめんなさい。
あまりネタにならなくて。
と、再び首を傾げました。
あら?
よし、じゃあちょっと質問を変えよう。
「涌井さんは横浜高校から西武に入団して、プロって凄いなとか、もっともっと自分がレベルアップしないといけないなとか思いませんでしたか?」、
涌井:
う~ん…、
まぁ、正直、凄いなと思ったのは同じチームの松坂さんと西口さんだけでしたね。
はい。
十分プロでやれるなと思いました。
「えっ?えっ?じゃあ、ピッチャーじゃなくて、バッター、バッター。バッターはどうですか?」、
涌井:
いや、そんなにいなかったですね。
1年目のキャンプ終わって、オープン戦も抑えましたし、
開幕ローテにも入りましたし、
ただ、ちょっと開幕前に胃腸炎を患って、
開幕してからは思うようには行きませんでしたけど。
「えっ?ちょっと待って。高卒の1年目でもうやれると思ってたのか」と(笑)
私ね、ここで猛省しました。
井端弘和さんは亜細亜大学からドラフト5位で中日に入りました。
当時、まぁ、ドラフトの同期が川上憲伸さんでしたから、
そこまでね、有名な選手ではなかったんですよ、井端弘和は。
ほぼ無名だったんです。
プロ入り後、血のにじみ出るような努力でトップ選手になった選手。
で、一方、涌井秀章というピッチャーは、
私もバカでした!
もう高校時代から「松坂2世」と騒がれたスター選手なんです。
「あっ、しまった、そうか。才能あふれるごく一部の「天才」に、
まぁ、先週、なんか井端さんと話をして僕も良い学びを得たから、
「これも涌井さんから得られるだろう」と思って、
天才に聞いちゃった。
天才はもうだって、もう天才なんだもん。
努力とか、壁を感じて感じてどうとかじゃなくて、
「もう凄い人に、どうやったら凄くなれますか?」なんて、
また愚かな質問をしたなぁと思っていたんですが、
ポロッと涌井さんが、
涌井:
しいて言えば体じゃないですかね。
結局、丈夫なヤツしか練習できませんから。
と、やっと答えが出てきました。
それが「体」でした。
ちょっと私は、食い下がりました。
「じゃあ、涌井さん、あなたの丈夫な体でいっぱい練習した。ハードワークしたっていうのはいつですか?例えば、西武に入ってとかね、侍のユニフォームも着て、もっともっと世界でとか、いつですか?」、
涌井:
あぁ、もうそれはハッキリ。
高2の秋から高3の夏までです。
そうです。
この話、実は一度、「スポ音」でしているんです。
高校2年生の秋、エースナンバー1をつけた涌井秀章擁する横浜高校は、
翌年の選抜をかけた神奈川県大会で、
まさかまさか、横浜隼人という高校に負けたんです。
その試合を最後に涌井投手はピッチャーをクビになりました。
一時期、センター、外野をしていていたんです。
しかし、これは実際は、横浜高校の渡辺監督、小倉部長による、
「涌井秀章レベルアップ計画」のスタートだったんです。
その日から地獄が始まりました。
横浜高校名物のダービー、
これは小倉部長が競馬が好きだったから「ダービー」と名付けられたそうなんですが(笑)
ホームベースありますね。
そこからまずライトのポールに走ります。
で、ライトから右中間、センター、左中間、レフトのポールにたどり着き、
レフトからホームに帰ってくるおよそ400mを走るランニングメニューが、
横浜高校名物のダービー。
設定タイムがあります。
その設定タイムを1秒でもオーバーすると本数に入れてくれません。
全体練習が始まる前に、
そのダービーを何本も何本も走ります。
その後、アメリカンノック、普通のノック、下半身強化、
100キロ近い小倉部長を肩車してのスクワット、
防具をつけてのピッチャーライナーノック、バッティング練習もします。
そして、投内連携。
よくキャンプで見ますよね。
ファーストゴロ打ってピッチャーがベースカバー、あんな感じ。
だいたいキャンプで見る時ってピッチャー10人ぐらいいますよね。
10人以上の時もあって、
なんとなく見ていて、「あ、これは楽な練習だな」と思い気や、
横浜高校これを2人や3人でやります、
ピッチャーは。
もうぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるずーっと走っているんです。
「あぁ!あぁ!もう立てない!もう動けない!」といったところで、
とどめのダービー!
もう聞くだけで私は気絶しそうになりました。
ピッチャーをクビになったはずが、
いつしかピッチャー陣に涌井投手も加わり、
この練習メニューの途中で監督や部長が、
「もういいぞー」と下級生や背番号2ケタのピッチャーには言うんですが、
最後の最後まで涌井秀章が残り、
この地獄のメニューをこなします。
これがなんと高2から、毎日毎日、高3の夏の神奈川県大会に突入しても続いたんです。
涌井投手も人間です。
くじけそうになります。
すると小倉部長が「松坂はもっとやったぞ!」と言うそうです。
ちょっと声高めだそうです。
「いや、松坂さんじゃねぇし」と涌井投手も思いながらも、
伝統校のエースナンバーを背負う男の責務と感じ、
これを乗り越えました。
この問答無用の激しく厳しい追い込みハードワークが、
涌井というピッチャーを格段にレベルアップさせていったんです。
涌井投手は当時を振り返ってこう言いました。
涌井:
僕、高校ジャパンに選ばれて、
合宿で他の高校の選手の練習メニューとか聞いたんですけど、
間違いなくあの年の高校3年生で、
僕が日本一練習していたと思います。
あんなメニューやっている選手、1人もいませんでした。
この会話に柳投手が加わりました。
柳投手も横浜高校出身です。
柳:
いやぁ、若狭さん、
横浜の練習、マジやばいっす。
僕は走るメニューが本当に苦手だったんで、
涌井さんほどできなかったんですが、
毎日、自分の限界以上の練習をやらされるんです。
で、僕、本当に走れなかったんで、
もう倒れて動けないときに小倉部長が「涌井はもっと走ってたぞ!」って言うんです。
「涌井じゃねぇし」ってもう毎回思っていたんですけど、
やっぱり横浜のエースは、
これを乗り越えなきゃいけないんだなぁと思って、
正直、3年間でめっちゃ根性はつきましたよ。
「その辺の奴らに負けてたまるか」という根性はつきました。
と。
先週の井端さんと今週の涌井投手の答え。
井端さんは負けず嫌い、
涌井投手は「体」がトップ選手になるために必要だと言いました。
入団時の知名度、井端さんはほぼ無名、失礼ながら。
涌井投手はスター。
ドラフト5位とドラフト1位。
色々と異なる点が多いんですが、
共通していることはですね、
トップ選手になる人は「必ず」です。
若い時にハードワークをしているということです。
涌井投手は入団前だったんです。
井端選手も当然、堀越学園、亜細亜大学と厳しい厳しい練習はしていたと思うんですが、
「本当に自分をガンガンに追い込んだのは中日ドラゴンズに入団してからでした」
今は量より質が求められ、
指導者の経験や指導者の強制よりも練習1つ1つを見ても、
科学的根拠とかデータが選手側から求められる時代です。
強制の指導というのは、ハラスメントと捉えられる時代です。
ひょっとしたら今は、
若い時に必要なハードワークをさせることも、
ひょっとしたら選手自らがすることも難しい時代なのかもしれないと凄く感じました。
柳投手がポロッと言いました。
柳:
いやぁ、若狭さん、
自分のね、限界を超える追い込みって、
自分じゃできないんすよ。
やっぱり人間って自分かわいいんすよ。
無理なんすよ。
人にやらされないと厳しいんですよね。
この会話に長年、ドラゴンズに携わる裏方さんも加わりました。
中日ドラゴンズ裏方:
今はキャンプでも全員に同じハードメニューを課すことは難しくなっています。
みんなプロですから、
それぞれのやり方があって、
それもこちら側としては尊重しなければいけません。
「じゃあ、なかなかね、強制練習が難しい今、自ら率先してキャンプ中とかでも追い込んでいる選手いますか?」、
中日ドラゴンズ裏方:
そうですね。
まぁ松山とかですかね。
と、その裏方さんは答えました。
涌井投手と柳投手にも聞きました。
「今、若手で、自らハードに追い込んでいる選手います?」。
2人の口から同じ選手の名前が出てきました。
その名前は「根尾昂」でした。
ひょっとしたら今はプロ野球に限らず、
学校や地域でスポーツを指導する人、
あるいは企業で部下を育成する人、
みんな、指導法とか接し方とかが難しいと感じている人が多いと思います。
昔の常識は、今の非常識。
だからこそ現役選手本人が高い意識を持って、
自分の限界を超える追い込みを自ら課すことが重要なんだと思いました。
井端さん、涌井投手、柳投手、裏方さん、
みんなの話を総合して言えることは、
当たり前ですが1点。
トップ選手になるために必要なことは若い時のハードワークです。
DeNA・筒香嘉智「僕が横浜高校に入る前からずっと見ていた方ですし、プロに入ってからもあれだけ活躍されている先輩ですので。そういう先輩と対戦できることは年に数回しかないので楽しみでした。僕の中では非常に良い時間」
大相撲・錦富士が着ている、中日・涌井秀章&仲地礼亜の名前などが入った浴衣
涌井投手と柳投手が語りました。











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