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【ジャッキー・ロビンソン デー 特別企画】
— MLB Japan (@MLBJapan) April 15, 2024
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【ジャッキー・ロビンソン・デー特別企画】「42」を背負う理由
「ずっと42番を着けたいと思っていました。実は大学の練習試合用のユニフォームで42番を着けられるチャンスがあったんです。でも、そこで着けてしまうと自分のなかで軽くなってしまうので、自分が目指せる1番上のレベルで着けたいと思っていました。もちろんMLBでは全球団で永久欠番になっていて着けられないので、高校生のころからプロ野球で42番を着けたいと思っていました」
ブライトは、東京の足立区出身。 野球が好きな父の影響で、小学6年生のときに野球を始めた。
「もともと柔道をやっていて、何かメジャーなスポーツをやりたいと思い、サッカーとかバスケとかいろいろと挑戦してみました。ただ、小さいときから身体が大きいほうだったので、体格だけでサッカーとかバスケはできちゃったんです。でも、そのなかでも野球がすごく難しく感じて、それで興味を持つようになって、もっとやりたいなと思ったんです」
人生における価値観やガーナ文化を教え、そして、ジャッキー・ロビンソンの存在を息子に紹介したのも父だった。ブライトがこれまでの人生を歩むなかで、ロビンソンの存在は困難に直面するたびに、彼を勇気づけてきた。
「ジャッキー・ロビンソンのことを初めて知ったのは、確か小学生くらいだったと思います。彼について描かれた映画も何回も観ました。今よりもっと差別がひどかった時代にさまざまな差別を受けながら、それと戦って打ち勝ったのはすごい。自分も何かつらいこととかがあったときに、『もう一歩頑張ろう』とか、『ここをもう少し頑張ってみよう』ということを思えるようになった、きっかけの映画ですね」
ガーナ人の父と日本人の母とのあいだに生まれ、日本で育った経験をこう語った。
「小さいころには人と違うことでいろいろとありましたが、そういうことを経験しながら大人になるにつれて、少しずつハーフということが自分のなかで誇りになっていきました。今ではハーフでよかったなと思っています」
高校の進学時には野球部が強い学校ではなく、地元に近い高校を選んだが、大学では全国を目指せるレベルでプレーしたいと思い、上武大学に進学した。しかし、競争の激しい環境に身を置きながら送る初めての寮生活は想像以上に厳しく、次第に自分自身の能力にも疑問を持ち始め、一時は寮を出たほどだった。
だがそんななかでも、ブライトの才能を信じて疑わなかった人たちがいた。それは、間近でともに白球を追っていたチームメイトたちだった。彼らは寮を出たブライトを追って、家まで迎えにきてくれたのだ。「あのときの彼らがいなかったら、今こうして野球をプレーしていることもなかったと思います。今でも本当に大切な友達です」と、ブライトは当時を振り返る。チームメイトの支えもあって、ブライトは再び寮に戻り、そこからさらに上を目指すべく練習に明け暮れた。
4年生になったブライトは春のリーグ戦から飛躍を遂げる。打率は.383を記録し、3本塁打、12打点と大活躍してMVPを獲得した。6月に行われた全日本大学野球選手権大会でもその活躍は続き、2本のホームランを放ってチームのベスト4進出に大きく貢献した。最終的には準決勝で大会を制覇した慶應義塾大学に敗れたものの、ブライトの活躍とその才能は多くのスカウトに強く印象づけられた。
そして迎えた2021年のドラフトの日。1巡目で中日ドラゴンズから指名を受け、晴れてプロ入りの夢を叶えた。そして、その夢を叶えた際に背負おうと思っていた番号は、自分のなかですでに決まっていた。巡り合わせだろうか、ドラゴンズのユニフォームはジャッキー・ロビンソンが「42」を背負ったドジャースのユニフォームに類似している。
「ドラゴンズに指名していただいてから、さまざまなところで『どんな想いですか』と聞いていただいて、いろいろと答えているんですが、本当に1番最初に思ったのは、ドジャースの42番に似ていると思ったんです。それが最初の印象だったので、すごく気に入っています」
ブライトが抱くロビンソンへの敬意と感謝の気持ちは、思いもよらない形である人物に届いた。 2023年12月、ドラゴンズの通訳を務める加藤氏がロビンソンの息子、デビッドさんがタンザニアにいるとの情報を知り、彼のもとを訪問してブライトのユニフォームを渡した。 デビッドさんはかつて父親が背負った「42」が縫い付けられたユニフォームを着て欲しいというブライトの願いに喜んで応じた。
「アメリカでは42番という背番号に大きな意味があるということを、多くの人たちが知っていると思います。でも、日本というアジアの全然違う国で、デビッドさんのお父さんが背負った番号に対して、深い意味を持って着用している選手もいるということが、少しでも伝われば嬉しいなと思いました。すごくいい機会をいただけて、渡すことができました」
最後に、今後の自身の野球人生と、同じような境遇を持つ子どもたちに向けて、ブライトはこう語った。
「自分もそこまで強くないチームでプレーしていて、そこから何とかプロ野球選手になることができて、ここからが勝負ってところ。自分がどんな環境にいても、周りの子がどんなに上手でも、誰よりも練習すれば、必ず上手くなると思う。何事も諦めずに頑張ってほしいですし、あとは野球を楽しんでほしいと思います。ハーフの子たちには、小さいころとかは特に人と違うことに悩むこともあると思います。でも、絶対にどこかで誰かが見ていてくれて評価もしてくれます。肌の色がどうとか関係なく接してくれる人たちもたくさんいるので、そういう人たちとの出会いと繋がりを大事にしていってほしいなと思います」
そして、自身が野球人として目指す姿をこう語った。
「将来的には、僕を見てハーフの子たちが野球を始めてくれたり、ハーフの子たちだけじゃないですけど、子どもたちに、何か影響を与えることができるような選手になりたいというのが1番強いです」
英語版:Meet NPB’s Kenta Bright, who wears No.42 for Jackie
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