■2024.02.11 中日スポーツ
手術明けの中日・草加と歩く落合コーチ「今度は僕の番」優劣を決めるのは“誰が最初に投げた、勝った”ではない
「東都から外れ1位も一緒ですよね。違うのは僕はキャンプどころか入寮すらできなかったことかな」。横を歩いていたのは、落合2軍投手兼育成コーチだった。草加とは初対面。「これからオレが一番接することになるから」と握手した。
落合コーチは1992年に日大から入団。しかし、4年秋に右肘を骨折した。ドラフト後の1月に岡山市内で手術。つまり故障が先で指名が後だったのに、世間の風当たりはきつかった。患部に埋め込んだサファイアは、今も残っている。その術式のおかげで何と1週間後にはほぼ全力で投げていたそうだが、キャンプには合流せず、1軍初登板も2年目に持ち越した。
「投げられないことよりつらかったのは、仲間が打った、打たれたとか野球の会話をしているのに加われなかったことですね」
草加には同じ東都からドラ1で入った6人のライバルがいる。落合には若田部健一(駒大→ダイエー)がいた。「テレビで『今日の若さま』ってコーナーがあったんです。僕はそれを必ず見るようにしていたんです」。そんな雌伏の日々を伴走してくれたのは、稲葉光雄2軍投手コーチだった。かけてくれた言葉を今も覚えている。
「同じ土俵に上がった時、オレは絶対に負けない。その気概だけは忘れるな」
この先、ライバルは勝利の笑顔を見せ、草加には地道で長い道のりが待っている。それは32年前に落合コーチが歩いた道でもある。
「朝『おはようございます』ってあいさつした顔色を見ただけで、稲葉さんは僕の状態を見抜いていました。今度は僕が稲葉さんの役割をする番です」
ライバルとの優劣を決めるのは、誰が最初に投げた、勝ったではない。
記事全文を読む
中日・落合英二コーチ「厳しいことを言うようだけれど、読谷で普通にやっていて頑張っていますからってチャンスはもらえないと思うよ」「そりゃあ仲地を使うよ、お前がよっぽどアピールしないと」
中日ドラフト1位・草加勝、決断を後押しした立浪和義監督の言葉を明かす
落合英二コーチが語ります。