■2021.12.26 月刊ハラスポ
…
『立浪新監督がPL同級生にホンネ連発 強竜再建への極秘プラン』
野村:
立浪監督、ユニフォームを脱いで12年、
この12年間の間でWBCのユニフォームは着られましたけど、代表の。
他にも当然、誘われた時期あったでしょう?
立浪監督:
多少は、はい。
野村:
そこはやっぱりブレずに断ってきたということですよね。
立浪監督:
そうですね。
やっぱり初めはドラゴンズのユニフォームを着たいという。
野村:
決めていたわけですよね。
やっぱり正直、苦しかった時期はあったでしょう?
立浪監督:
いや、苦しいというよりも、
辞める、ちょっと代打に入ったくらいからは、
やっぱり辞め際も考えないといけないし、
でも「必ずやっぱりドラゴンズで指導者になりたい」という、
その頃からの夢と目標というのはあって、
また、こんなに長くユニフォームを着ないと思わなかったので、
もちろん人生の中では上手くいかないことも沢山あるんですけども、
タイミングもあるしね。
苦しいというよりも…、
ただ、ずっとここまで我慢して待っていたというのは、
やっぱり街に行ってもどこへ行ったりしても「将来、必ず監督になってね」とかね。
野村:
「いつなるんですか?」と言われたでしょうね?
立浪監督:
それがプレッシャーとか、嫌に受け取ってしまうこともあったんですけども、
自分で決められないですよね、こればっかりは。
野村:
「やってくれ」と言われて初めてですもんね。
立浪監督:
だから今年に無ければドラゴンズでユニフォーム着ることはないなというふうには思っていましたし、
別に実際こうやって色々なことがあった中で、
こうやってスタートラインに立てたので、
苦労とかそういうことは思わないですね、今は全然。
今月のハラスポはドラゴンズスペシャル!立浪監督が同級生だけに本音を激白…㊙️✨野球ファン大興奮の夢のPL対談です!そして、まさかのサプライズで立浪さんの目に涙が…🥺
— 【公式】月刊ハラスポ (@haraspo_ctv) December 18, 2021
もちろんCV石田彰さん…間違えた、ナレーション石田彰さんです🥳💓(今月も裏切らないナレーションをしてくださいます♡) pic.twitter.com/dDvwckUiC8
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『立浪新監督がPL同級生にホンネ連発 強竜再建への極秘プラン』
野村:
立浪監督、ユニフォームを脱いで12年、
この12年間の間でWBCのユニフォームは着られましたけど、代表の。
他にも当然、誘われた時期あったでしょう?
立浪監督:
多少は、はい。
野村:
そこはやっぱりブレずに断ってきたということですよね。
立浪監督:
そうですね。
やっぱり初めはドラゴンズのユニフォームを着たいという。
野村:
決めていたわけですよね。
やっぱり正直、苦しかった時期はあったでしょう?
立浪監督:
いや、苦しいというよりも、
辞める、ちょっと代打に入ったくらいからは、
やっぱり辞め際も考えないといけないし、
でも「必ずやっぱりドラゴンズで指導者になりたい」という、
その頃からの夢と目標というのはあって、
また、こんなに長くユニフォームを着ないと思わなかったので、
もちろん人生の中では上手くいかないことも沢山あるんですけども、
タイミングもあるしね。
苦しいというよりも…、
ただ、ずっとここまで我慢して待っていたというのは、
やっぱり街に行ってもどこへ行ったりしても「将来、必ず監督になってね」とかね。
野村:
「いつなるんですか?」と言われたでしょうね?
立浪監督:
それがプレッシャーとか、嫌に受け取ってしまうこともあったんですけども、
自分で決められないですよね、こればっかりは。
野村:
「やってくれ」と言われて初めてですもんね。
立浪監督:
だから今年に無ければドラゴンズでユニフォーム着ることはないなというふうには思っていましたし、
別に実際こうやって色々なことがあった中で、
こうやってスタートラインに立てたので、
苦労とかそういうことは思わないですね、今は全然。
中日・立浪和義監督「200打席に近く立った中でじゃあホームラン何本打ったんだ?」 根尾昂「1本です」 立浪和義監督「であればもっと確率のいいバッティングを求めろ」
中日・立浪和義監督「解説者が長かったので、監督になっても結構ペラペラペラペラ喋ってしまうというね(笑)」
「ドラゴンズの指導者になりたい」という想いで待ち続けた12年間だったようです。