
■2025.03.14 RadiChubu-ラジチューブ-
元中日・岩瀬仁紀が明かす初サヨナラ被弾と川上憲伸の「今日は会いたくない」
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オリンピックが変えた未来?
以下、フリー百科事典『Wikipedia(ウィキペディア)』「岩瀬仁紀」からの引用です。
「2007年オフ、フリーエージェント(FA)権を取得し、球団から4年の複数年契約を提示されたが、権利を行使せず単年契約した」
これは、いわゆる「パーフェクトリレー」と呼ばれる試合の直後のことです。山井大介投手が8回まで完全試合ペースで投げていたところを落合監督の決断で9回から岩瀬さんが登板し、史上初の継投による完全試合を達成して日本一に輝いた後の出来事でした。
この時期について岩瀬さんは「あの年は非常に大変な年で、日本シリーズが終わって日本一になった後に、オリンピック予選があって台湾に試合に行き、帰ってきたのは12月の頭。FAのことを考える余裕が全くなかった」と当時を振り返ります。
実は、岩瀬さんが帰国した時にはすでにFA権の行使期間は終了していたそうです。
「もし日本シリーズに行ってなかったり、オリンピック予選がなかったら…」と安藤渚七が尋ねると、岩瀬さんは「また違う選択をしていたかもしれない」と明かしました。
「球団から4年の複数年契約を提示された」という記述については、岩瀬さんは「覚えていないんですよね。その年に契約提示された記憶がない」と否定。「とりあえず、もう一度1年かけてゆっくり考えようかな(笑)」という思いで単年契約を選んだことを語りました。
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岩瀬仁紀さんが明かしました。