■2024.03.30 中日スポーツ
『燃えよドラゴンズ!』50周年 中日応援と同時に「仕事がうまくいかない自分への応援歌として生まれた」山本正之さんインタビュー前編【企画・NAGOYA発】#燃えよドラゴンズ#中日ドラゴンズhttps://t.co/55PfQRpbCC
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「板東英二の歌声が一番だ、と感じて、歌唱は彼にお任せを」『燃えよドラゴンズ!』50周年 “生みの親”山本正之さんインタビュー後編【企画・NAGOYA発】#燃えよドラゴンズ#中日ドラゴンズhttps://t.co/27d4Ct1KKS
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「♪投げよ剛球 打てよ堅棒~」88年前、中日の前身『名古屋軍』に幻の球団公式歌が存在した【企画・NAGOYA発】#燃えよドラゴンズ#中日ドラゴンズ #応援歌
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■2024.03.30 中日スポーツ
『燃えよドラゴンズ!』50周年 中日応援と同時に「仕事がうまくいかない自分への応援歌として生まれた」山本正之さんインタビュー前編【企画・NAGOYA発】
―創作のきっかけは?
山本さん「昭和49(1974)年3月に大学を卒業したのですが、音楽で身を立てたくて就職しなかったんです。でも、なかなか仕事がうまくいかなくて。そうこうしているうちに夏ごろから中日が優勝しそうになって。『自分も頑張れ』『山本正之頑張れ』という思いで『いいぞ がんばれ』の歌詞に。ドラゴンズと同時に自分への応援歌として生まれたんです」
―応援歌の懸賞の募集があると勘違いしてラジオ曲にデモテープを送ったとか
「8月の終わりだったと思います。高校の先輩が下宿に泊まった時に聞いてもらい、『いいじゃないか』と言ってくれて。それで、その先輩からCBCと東海ラジオで応援歌を懸賞金10万円で募集しているから送れよって言われて。10万円はうれしいなと思ってデモを送ったんですけど。懸賞は先輩の、私を勇気づける親切なウソだったんですが、結果的に懸賞どころじゃなくなって」
―どんな形でヒットを呼んだ?
「デモテープを送ったら、CBCでディレクターをやられていた加藤吉次郎さんがラジオ番組で流してくれて。すごく反響があってたくさんリクエストが届いて。同時に東海ラジオにも送ったんですけど、こちらも大好評でした。東京の私の下宿に、留守中、吉次郎さんや他のスタッフから何度も電話がかかってきたみたいで」
―名古屋が大変なことになっている、と
「取り次いだ大家さんや隣の部屋の学生のメモが私のドアに貼ってあって『すぐにCBC、東海に電話してくれ』と。これからすごいことになるかもしれないと足元からマグマが噴き上げるような感じがしました。優勝する直前の9月半ばだと思います」
―レコード化に至るまでは?
「すぐに吉次郎さんに呼ばれてCBCの『ばつぐんジョッキー』という番組にギターを持って出演しましてね。CBCのサテライトスタジオ『レインボースタジオ』の前にドラファンの皆さまが駆けつけてくれて、私がギターを弾いて歌唱指導をしたんです。それをレコード会社の人が聞き付けて、1週間でプレスするからということになって」
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