■2024.01.18 webスポルティーバ
谷繁元信氏が「野球殿堂入り」を果たした。中日時代にバッテリーを組み、黄金期を支えた吉見一起氏が回想する谷繁のリード術とは。 https://t.co/FQv8JJPFQj
— 集英社スポルティーバ (@webSportiva) January 18, 2024
■2024.01.18 webスポルティーバ
殿堂入り・谷繁元信のリード術を吉見一起が回想「わざとヒットを打たせておいて、大事な局面では90~100%の確率で仕留める」
【エサをまくリード】
── 吉見さんは2005年に大学生・社会人ドラフト1位(希望枠)で入団しました。プロ3年目の08年から5年連続2ケタ勝利。09年、11年は最多勝を挙げ、10年、11年のリーグ優勝の原動力となりました。正捕手だった谷繁さんのリードをどう感じていましたか。
吉見 僕の入団時、谷繁さんはすでに押しも押されもせぬ名捕手でした。僕の印象は「エサをまくリード」が巧みだったということです。すべての場面で勝負にいくのではなく、勝敗に影響しない「打たれてもいい」場面では、わざとヒットを打たせておく。言わば、ふだんは60~80%のリードをしておいて、ここぞという大事な場面では90~100%の確率で仕留めるリードをする。レギュラーになるかならないかの捕手は失敗しない配球をしようとするので、そういう”遊び”はなかなかできないと思います。
── 吉見さんは抜群の制球力を誇り、またフォーク、スライダー、シュートなど多彩な変化球を駆使しました。そんな吉見さんを谷繁さんは具体的にどんな配球をしたのですか。
吉見 僕はフォークを勝負球としていました。千賀滉大投手(メッツ)のような落差の大きなフォークではなく、打者の手元で落ちる「ミートの接点の少ないフォーク」でしたが、落とし方を自在に変えることができました。ただ、僕のストレートの球速(140キロ代前半)だと、ホームランを打たれたくないのでボール球で勝負しようとしていたのですが、谷繁さんはストライクを要求してきました。もちろん大事な局面では勝負球のフォークや別の球種、または相手打者の苦手なゾーンに投げるのが谷繁さんの配球ですが、ランナーのいない場面とかではストライクゾーンにストレートを投げ込み、その残像を残すのです。
── つまり、それが「エサをまく」リードなのですね。
吉見 こういうリードが同じ試合の終盤の打席や、次の試合の対戦で生かされます。そんな勝負の仕方を谷繁さんから教わりました。僕がたくさん勝てたのは、谷繁さんのリードのおかげです。
記事全文を読む
現役時代、中日・谷繁元信捕手「真剣に投げろ」「まじめに投げろ」 吉見一起投手「(投げてるし)」 → 引退後に…
侍ジャパン・吉見一起コーチに「谷繁さんの一番すごいと思うころは?」と尋ねると意外な答えが…?
吉見一起さんが明かしました。