■2023.12.30 中日スポーツ
元中日育成の松田亘哲、名古屋の放送局で第2の人生「メディアの持つ力を生かして自分らしい仕事を」:中日スポーツ・東京中日スポーツ https://t.co/r2DcBHWN5U #中日ドラゴンズ#松田亘哲#名古屋大学 #就職
— 中日スポーツ (@chuspo) December 29, 2023
■2023.12.30 中日スポーツ
元中日育成の松田亘哲、名古屋の放送局で第2の人生「メディアの持つ力を生かして自分らしい仕事を」
中日入りしてからは苦難の連続だった。「入団してから2年間は練習についていくのがやっと」。1年目はけがにも苦しんで2軍戦の登板はなし。2年目から主に中継ぎで登板したが、4年目の今年はイップスに似た症状に苦しんだ。最大の武器だった直球でストライクが取れない。そのうちに左手からボールが離れなくなった。その後、辛うじて投げられたのがツーシームとスライダー。直球を封印して、変化球主体の投球に活路を見いだそうと最後までもがいた。
試行錯誤は内面の変化も生んだ。もともとは人に興味がないタイプだったが、チームメートに質問を繰り返すうちに、現状の思考やフォームにたどり着く過程が知りたくなった。「人それぞれに歩んできた道がある。そこに面白さを感じられた」。10月に戦力外通告を告げられた直後、真っ先に選択肢に浮かんだ進路はメディアだった。
育成選手だった自分にできることとは…。おぼろげにイメージできることはある。「注目されていなくてもすごい人はたくさんいる。そういう人たちに少しでも光を当てられたら」。無名も無名だったアマチュア時代、画面に映ると友人や知人から連絡が届いた。「こういう人がいるんだ、とかあの人は今ここで頑張っているんだ、と伝えられる。メディアの力って僕はすごいと思っているので」と話す。
11月下旬から筆記試験や面接をへて届いた”サクラサク”の吉報。プロ4年間での成績は2軍54試合で0勝5敗、防御率6・30。「いつかはドラゴンズを取材する側に回れたら」と思い描きながら、新たな一歩を踏み出す。
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元中日・松田亘哲さんが「これは凄いな、変わったな」「これヤバいな」「アツいな」と感じた、今後活躍するであろう中日投手
「お前、どうにかしろ。選択肢をやる。白いメガネにするか、コンタクトにするか、茶髪にするか、お前が選べ!どれかやれ!」 元中日・松田亘哲さんがメガネをやめた理由が明かされる
いずれドラゴンズの取材をするかもしれません。