■2020.04.26 中日スポーツ
1人4役 中日の”スーパー裏方”ルイス通訳は22歳で現役を断念…森繁和さんとの出会いが最大の転機
「日本にこんなに長くいるなんて思ってもみなかった。奇跡です。あのとき断っていたら日本にはいないだろうし、どうなっていたか分からない。あの判断が一番良かったですね」
あのときとは1998年秋。広島の練習生として2年目が終わる際に球団からこう告げられた。「ブルペン捕手として残ってくれないか」。ジャパニーズドリームがついえたにもかかわらず、22歳の青年は即答した。「喜んでやりますよ」。裏方人生が始まった。
肩書に通訳が加わったのは鶴の一声がきっかけだった。「お前、日本語うまいな」。声の主は松田元オーナー代行(現オーナー)。2軍の由宇球場を視察した際、片言のあいさつに驚いた総帥はさらにこう続けた。
「日本語勉強したいの? それなら球団が費用を出すから日本語学校に通って来いよ」
試合のない月曜に広島市内の学校に通うこと3年。「5年くらい日本で勉強して、その後ドミニカでカープアカデミーのディレクターをやってほしい」。裏方に転身する際、球団からはそう言われたが、実現することはなかった。日本に欠かせない存在になっていた。
ただ、労働環境は厳しかった。広島2軍のブルペン捕手は1人だけ。「一日中ずーっと俺1人で受けてた。本当に大変だった」。月給は「15万円」。母国には妻子もいる。30歳になっていた2006年オフ、ついに退団を決めて帰国した。
そこに声をかけたのが、この年からドミニカに選手を派遣していた中日だった。「森さんや長谷部さんが来ていて、そこで話をしたんです」。当時コーチだった2人が素早く動いた。選手のサポートで現地にいた長谷部裕さんは、ルイスの広島での働きぶりを見ていた。進言を受けた森繁和さんが球団に掛け合い、入団が決まった。
それから13年。国際渉外担当の肩書もついた。「一番やりがいを感じるのは選手がいい仕事をしてくれたときと、下手だった選手が成長したとき。去年のロドリゲス(現レンジャーズ)もコーチのアドバイスを伝えたらものすごく良くなった。この仕事をしていて良かったと思ったよ」。全体練習ができない現在は、新加入のゴンサレスの自主練習に付き合う。
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中日新助っ人・ゴンサレス 水面下でヤンキースやカブス、カージナルスなど複数球団と争奪戦になっていた
フォロワーさんの反応 / ネットの反応
ドラゴンズの裏方として大変重宝する存在
ルイスさんもそうだけど、桂川さんも通訳としてチームには欠かせない人達です
これだけ外国人選手が活躍できてるのは本人たちの実力もそうだけど、こういった方達のおかげでもある
ドラゴンズにとって史上最高の裏方助っ人ルイス君
広島、とんでもない雇用してて草
中日ではいくら払えてるのだろう…
一つ夢が潰えたからと言って、諦めんな。他にも自分を活かせるところがあるはずだ、とルイスさんが教えてくれている…
諦めたらいかんよね
ルイス君、ルイス君呼んでたけど42歳になったんだな
もうルイスさんと呼ばなきゃダメだね
来日24年目か、ドラゴンズはルイスさんを手放してはダメだぞ
ルイスさんずっと中日にいてください(懇願)
こういう人によって成り立ってるんだな〜
まさにプロフェッショナル
チームに欠かせない存在。これからもずっとずっと応援しとるで…!