
■2025.09.20 CBCラジオ
『若狭敬一のスポ音』

…
(今季の中日・松木平優太の話題)
若狭アナ:
松木平投手に今週、ナゴヤ球場で話を聞くことができました。
本人も、
松木平:
去年は物凄く良い年でした。
シーズンが終わって、
オフにはテレビに出たり、トークショーに呼ばれたり、
プロ野球の世界で活躍すると、こんなことがあるんだなというのを実感しました。
背番号も変わって首脳陣やファンの方からも物凄く期待されていることも感じました。
だからこそ、2025年は自主トレから、より一層気合いを入れて野球に取り組もうと思っていました。
と。
もう、本当に去年は何をやっても上手くいく年でしたよね。
今年の松木平投手についてざっとみなさんにご紹介しましょう。
1月から振り返ります。
松平投手の姿は宮崎県にありました。
先輩の柳裕也投手との自主トレです。
松木平:
実は自主トレのダッシュの時に右足首を傷めました。
激痛でした。
と。
報道されている、この右足首痛というのは、
キャンプの終わり、あるいはキャンプが終わって右足首を痛めて2軍に合流した。
彼は北谷、1軍スタートでしたからね、キャンプは。
キャンプの終盤にアクシデントで右足首傷めたんだなという報じられ方をしていましたが、
実は1月にもう傷めてたんですね。
痛みは引かず2月1日を迎えます。
松平投手は、
松木平:
北谷スタートで期待もされていたので足のことは隠しました。
毎日、右足首をテーピングでグルグル巻きにして、
痛み止めの薬を飲んで練習していました。
今思えば、1日も早く正直に全てを話して治療に専念するべきでした。
結局、まともに投げられないままキャンプが終わります。
キャンプ中、球速は全然、出ませんでしたし、
最悪なのは悪いクセが、良くない投球フォームが身についてしまったことです。
右足をかばうので最後にどうしてもプレートを蹴れない。
だから最後、体をひねる時に力が伝わらず、体が開き気味になるので球は弱いし、
むちゃくちゃシュート回転しました。
病院で検査の結果、右足首の靭帯は損傷していました。
と。
かなり深刻なケガでした。
でも、これを黙ったまま1ヶ月以上、野球をやり続けました。
2軍に合流してからは、リハビリ組に入ります。
治療を続け、右足は治りました。
4月にはブルペンに入って、
5月3日、くふうハヤテ戦で復帰登板を果たします。
ところが本人振り返ると、
松木平:
全然、ダメでした。
足は治ったんですが、悪い癖が体から抜けていませんでした。
球が弱くてシュート回転して、
変化球も体の開きが早いので、バッターが見やすい。
いきなりホームランを打たれました。
ショックでした。
と。
その後、この言葉通り、後々調べてみると2軍の公式戦で、
7月1日までざっと2ヶ月間、7試合に先発登板してるんですが、
4失点、3失点、4失点、3失点、4失点、2失点、4失点と、
松木平:
思うようなピッチングできなかった。
と本人も振り返ります。
松木平:
このまま悪いクセが染み付いた状態ではでも1軍には上がれないということで、
その悪いクセを抜くためにピッチングの基本動作のドリル、
これを地道に繰り返していきました。
しかも、小林育成コーチが去年のドリルの映像と比較してくれて、
違う動きのところを徹底的に直しました。
すると、徐々に徐々に良くなってきました。
もう体にこびりついていたあの悪いクセが徐々に徐々になくなっていった。
ということなんですね。
確かにそこから、7月中盤からはウエスタン・リーグでも好投を続けているんですね。
…
若狭アナ:
私は、
「まさに去年が天国で、今年が地獄。天国と地獄みたいでしたね。ただ、THE・プロ野球を味わったんじゃないですか?」
松木平:
本当にそう思います。
去年はどこか結果も良くて支配下にも上がれて、
オフ、浮かれていた部分があったと思います。
と。
「じゃあ今年は秋からどう過ごしますか?」と聞きますと、
松木平:
今、取り組んでいることを継続して、
10月に宮崎のフェニックス・リーグに行くことがあれば結果もしっかりと出したいし、
秋季キャンプも追い込んでいきたい。
12月いっぱいまでは名古屋でみっちり練習して、
年末年始は一旦、実家の大阪に帰りますが、
すぐ、また柳さんと一緒に宮崎に行きます。
そして、もう、このオフは呼ばれないとは思いますが、
テレビやトークショーには出ません。
来年のキャンプは読谷スタートだと思います。
落合英二監督からは、
「もし何かの間違いでお前が北谷スタートだったら、俺が読谷に連れてくるからな」と言ってもらっています。
もう一度、そこから這い上がっていきたいと思います。
と力強く語ってくれました。
非常にね、表情はサバサバ明るくて、「ポジティブな気持ち」だとも本人は話していました。
本当にね、良いことも悪いこともこの2年間でかなりの振れ幅で経験したんじゃないかなと思いました。
私もドラゴンズを取材して、もうかれこれ20年になります。
松木平投手のように良い思い、悔しい思い、天国と地獄を一気に味わう選手も何人も見てきましたし、
残念ながらそのままユニフォームを脱ぐ選手、
もっと言うと天国を一度も見ないまま終わる選手も何人も見てきました。
ぜひね、這い上がって長く現役を続けて、
この2024年と2025年の2年が良い経験だったなと振り返れる選手になってほしいと思います。
『若狭敬一のスポ音』

…
(今季の中日・松木平優太の話題)
中日・松木平優太、緊急降板は実は「マメじゃないです。マメは無かったんです。突然、皮が…」
若狭アナ:
松木平投手に今週、ナゴヤ球場で話を聞くことができました。
本人も、
松木平:
去年は物凄く良い年でした。
シーズンが終わって、
オフにはテレビに出たり、トークショーに呼ばれたり、
プロ野球の世界で活躍すると、こんなことがあるんだなというのを実感しました。
背番号も変わって首脳陣やファンの方からも物凄く期待されていることも感じました。
だからこそ、2025年は自主トレから、より一層気合いを入れて野球に取り組もうと思っていました。
と。
もう、本当に去年は何をやっても上手くいく年でしたよね。
今年の松木平投手についてざっとみなさんにご紹介しましょう。
1月から振り返ります。
松平投手の姿は宮崎県にありました。
先輩の柳裕也投手との自主トレです。
松木平:
実は自主トレのダッシュの時に右足首を傷めました。
激痛でした。
と。
報道されている、この右足首痛というのは、
キャンプの終わり、あるいはキャンプが終わって右足首を痛めて2軍に合流した。
彼は北谷、1軍スタートでしたからね、キャンプは。
キャンプの終盤にアクシデントで右足首傷めたんだなという報じられ方をしていましたが、
実は1月にもう傷めてたんですね。
痛みは引かず2月1日を迎えます。
松平投手は、
松木平:
北谷スタートで期待もされていたので足のことは隠しました。
毎日、右足首をテーピングでグルグル巻きにして、
痛み止めの薬を飲んで練習していました。
今思えば、1日も早く正直に全てを話して治療に専念するべきでした。
結局、まともに投げられないままキャンプが終わります。
キャンプ中、球速は全然、出ませんでしたし、
最悪なのは悪いクセが、良くない投球フォームが身についてしまったことです。
右足をかばうので最後にどうしてもプレートを蹴れない。
だから最後、体をひねる時に力が伝わらず、体が開き気味になるので球は弱いし、
むちゃくちゃシュート回転しました。
病院で検査の結果、右足首の靭帯は損傷していました。
と。
かなり深刻なケガでした。
でも、これを黙ったまま1ヶ月以上、野球をやり続けました。
2軍に合流してからは、リハビリ組に入ります。
治療を続け、右足は治りました。
4月にはブルペンに入って、
5月3日、くふうハヤテ戦で復帰登板を果たします。
ところが本人振り返ると、
松木平:
全然、ダメでした。
足は治ったんですが、悪い癖が体から抜けていませんでした。
球が弱くてシュート回転して、
変化球も体の開きが早いので、バッターが見やすい。
いきなりホームランを打たれました。
ショックでした。
と。
その後、この言葉通り、後々調べてみると2軍の公式戦で、
7月1日までざっと2ヶ月間、7試合に先発登板してるんですが、
4失点、3失点、4失点、3失点、4失点、2失点、4失点と、
松木平:
思うようなピッチングできなかった。
と本人も振り返ります。
松木平:
このまま悪いクセが染み付いた状態ではでも1軍には上がれないということで、
その悪いクセを抜くためにピッチングの基本動作のドリル、
これを地道に繰り返していきました。
しかも、小林育成コーチが去年のドリルの映像と比較してくれて、
違う動きのところを徹底的に直しました。
すると、徐々に徐々に良くなってきました。
もう体にこびりついていたあの悪いクセが徐々に徐々になくなっていった。
ということなんですね。
確かにそこから、7月中盤からはウエスタン・リーグでも好投を続けているんですね。
…
若狭アナ:
私は、
「まさに去年が天国で、今年が地獄。天国と地獄みたいでしたね。ただ、THE・プロ野球を味わったんじゃないですか?」
松木平:
本当にそう思います。
去年はどこか結果も良くて支配下にも上がれて、
オフ、浮かれていた部分があったと思います。
と。
「じゃあ今年は秋からどう過ごしますか?」と聞きますと、
松木平:
今、取り組んでいることを継続して、
10月に宮崎のフェニックス・リーグに行くことがあれば結果もしっかりと出したいし、
秋季キャンプも追い込んでいきたい。
12月いっぱいまでは名古屋でみっちり練習して、
年末年始は一旦、実家の大阪に帰りますが、
すぐ、また柳さんと一緒に宮崎に行きます。
そして、もう、このオフは呼ばれないとは思いますが、
テレビやトークショーには出ません。
来年のキャンプは読谷スタートだと思います。
落合英二監督からは、
「もし何かの間違いでお前が北谷スタートだったら、俺が読谷に連れてくるからな」と言ってもらっています。
もう一度、そこから這い上がっていきたいと思います。
と力強く語ってくれました。
非常にね、表情はサバサバ明るくて、「ポジティブな気持ち」だとも本人は話していました。
本当にね、良いことも悪いこともこの2年間でかなりの振れ幅で経験したんじゃないかなと思いました。
私もドラゴンズを取材して、もうかれこれ20年になります。
松木平投手のように良い思い、悔しい思い、天国と地獄を一気に味わう選手も何人も見てきましたし、
残念ながらそのままユニフォームを脱ぐ選手、
もっと言うと天国を一度も見ないまま終わる選手も何人も見てきました。
ぜひね、這い上がって長く現役を続けて、
この2024年と2025年の2年が良い経験だったなと振り返れる選手になってほしいと思います。
中日・井上一樹監督、松木平優太の3回無失点降板理由を明かす
中日・松木平優太、岡田俊哉への思いを語る
松木平投手が明かしました。