
■2025.09.13 RadiChubu-ラジチューブ-
川上憲伸「11連勝中、自分だけ勝てなかった」1999年優勝の複雑な心境
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開幕11連勝の陰で
1999年、プロ2年目の川上さんは開幕投手という大役を務めました。チームは開幕戦から11連勝という素晴らしいスタートダッシュを切り、そのままセ・リーグ優勝を果たします。
しかし川上さんは、この華々しい年について苦い記憶を明かしました。
「プロ野球を十数年やってきた中で、一番素直に喜べない嘘つきだった自分のシーズンだったり。優勝した瞬間っていう、あの時って本当はどうなのとか考えると、その年ですね」
当時はまだクライマックスシリーズがない時代。1試合1試合が終盤になってくると大事になり、2位も最下位も一緒という考えでした。
開幕投手を務め、11連勝中に3回ほど登板機会があったものの、川上さん自身は一度も勝ち星を挙げることができませんでした。チームが快進撃を続ける中、「多分、周りはわからないけど、僕だけが知っていた」と、複雑な思いを抱えていたのです。
プロの世界の厳しさ
川上さんは当時の心境について、プロ野球の現実的な側面から説明します。
「引退したから言えますけど、勝たないとお金にならない世界なんですよ。アメリカのメジャーリーグと違って、日本はやっぱり勝ち星で判断されたりするので、次にも向かっていけないんですよ」
逆をいえば、点を取られても勝ち星が拾えれば頑張れるものの、自分が勝てない時期は練習に行くのも足が重い状態だったといいます。
先発投手は6日か7日に1回の登板。投げない時はベンチで見るわけにもいかず、外から見ているため「参加できていない感じ」になるそうです。勝てないことで、全てに参加できていないという疎外感に包まれていました。
初めての胴上げと決意
神宮球場で優勝を決めて、星野仙一監督を胴上げしました。これは、川上さんにとって初めての経験で「ああ、これがテレビで見ていたものだ」という感動があったといいます。
シーズン中の成績が今ひとつだっただけに、川上さんは「日本シリーズだったら絶対活躍してやるぞ」という強い思いを抱いていました。
神宮球場での優勝決定戦の数試合前から、ドラゴンズはノリに乗っていました。逆転劇があった試合後、星野監督か島野育夫ヘッドコーチが「優勝する時ってのはこういう勝ち方が必要や!」というような言葉を大声で言っていたのを覚えているそうです。
初めて優勝に向かっていく経験のない川上さんたちは「そうなんだ」と、その言葉を新鮮に受け止めていたのです。
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川上憲伸さん「助っ人を含めて、『使えたらラッキー』ぐらいの選手だった人がレギュラーとして出てる。その人たちが普通に成績を出しているということが起きてますよね」
川上憲伸さん、当時の中日・星野仙一監督が常に強調していたことを明かす「ピッチャーは…」
川上憲伸さんが明かしました。