
■2025.07.04 RadiChubu-ラジチューブ-
警察沙汰の乱闘で六大学除外危機!川上憲伸が明かす明大キャプテン時代の真実
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同級生に支えられたキャプテン
川上さんは3年生の時に先輩たちから指名され、4年生でチームのキャプテンに就任しました。
同級生の中に高校時代にキャプテン経験のある選手が複数いて、未経験の川上さんをサポートしてくれたため、チームをまとめることは問題なくできたといいます。
ただし、ひとつだけ大きな問題が発生しました。それが、4年生の秋に起きた立教大学との乱闘事件です。
「この時ばかりは、キャプテンから逃れたいというのはありましたね。やっぱり周りから見ると、キャプテンが指示したんじゃないかとか、乱闘に持っていったんじゃないかとか」
プロ入り直前の乱闘事件
この乱闘は警察沙汰になりました。乱闘の直接的な原因はファーストベース付近でのクロスプレーでしたが、騒ぎがエスカレートしたのはホームベース付近でした。
当時の立教大学の監督は、常にマウンドやホームベース付近に寄ってきてクレームを入れる傾向があったといいます。実は川上さんが2年生のときにも立教大学との間でホームクロスプレーを巡る問題が発生していて、この時から明治大学と立教大学には確執がありました。
そうした背景もあり、ホームベース付近で騒ぎが大きくなったと川上さんは振り返ります。
川上さんは当時、逆指名制度でプロ野球入りがほぼ決まっている状況で、秋のリーグ戦が無事に終われば表明するという段階でした。残すところラスト2カードという時期に、この事件は起きました。
六大学から五大学になる危機
事件後、東京六大学の各チームからキャプテン、監督、部長が3人ずつ集まって会議が開かれました。前代未聞の出来事だったため、処分は厳しいものが検討されていました。
「東京六大学野球から明治を外そう、もちろん川上はキャプテンをやめるべきだ、みたいな。そうなったらプロ野球どころじゃないじゃないですか」
プロ入りがほぼ決まっていた川上さんにとって、この問題は将来を左右する重大事件でした。
この時、川上さんは「何も言うな」と言われていたそうです。最初に明治大学の監督が辞任を申し出ましたが、それでも問題は解決しませんでした。
しかし、事件が起きた試合で主審を務めていた慶應大学出身の高橋さんの証言が状況を一変させました。
主審の証言で形勢逆転
高橋主審は、明治大学だけが一方的に暴力をふるったのではなく、立教大学側も挑発的な行動を取っており、監督が体当たりをしてくるような行為も目撃していたと証言しました。
さらに、「川上主将は乱闘を止めに入り、ストップ、やめろと制止していた」とも証言してくれたのです。
川上さんによると、立教の監督に対して「もう来るな」と制止していただけで、突き飛ばすような行為はしていなかったといいます。ただし、スタンドから見ると川上さんが監督を羽交い絞めしているように見えたというのです。
川上さんが乱闘を止めようと制止している姿を高橋主審が見ていてくれたことで、事件の見方が大きく変わり、立教大学側にも問題があったことが明らかになりました。
明治大学の監督はこの一件で辞任しましたが、明治大学は東京六大学に残ることができ、川上さんもキャプテンを続けることができたのです。
プロ入り直前という重要な時期に起きた前代未聞の乱闘事件。キャプテンとして重い責任を背負いながらも、チームを守り抜いた川上さんの覚悟が浮き彫りになったエピソードでした。
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川上憲伸さんが挙げた、中日・田中幹也が“レギュラーを掴むために必要なもの”が…
川上憲伸さん、当時の明治大学野球部の第一印象は?「完全に…」
川上憲伸さんが振り返りました。