
■2025.02.10 週刊ベースボールONLINE
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小笠原慎之介の穴は埋まる? 中日の新加入左腕に「勝てる投手」高評価が
27歳と選手としてもこれから脂が乗り切る時期に入る。小笠原の抜けた穴を補って余りある活躍を期待したい#カイル・マラー #中日ドラゴンズ #dragonshttps://t.co/YnpwUxxOJy
■2025.02.10 週刊ベースボールONLINE
小笠原慎之介の穴は埋まる? 中日の新加入左腕に「勝てる投手」高評価が
落合博満元監督の下で黄金時代を築いた2000年代、10年代前半に左腕エースとした活躍したのがチェン・ウェインだ。台湾国立体育大の学生だった18歳のときに中日に入団すると、05年に一軍デビュー。翌06年秋に左肘の靱帯断裂と疲労骨折が判明し、07年は育成契約を結んでリハビリに打ち込み、その後の飛躍につなげた。支配下に復帰した08年は先発、救援で39試合に登板して7勝6敗12ホールド、防御率2.90をマーク。先発に定着した09年に24試合に登板して8勝4敗、防御率1.54で最優秀防御率のタイトルを獲得した。10年は自己最多の13勝をマーク。落合政権に不可欠な先発の核になった。
郷に入っては郷に従え
当時中日の二軍監督だった野球評論家の佐藤道郎氏は、週刊ベースボールのコラムでチェンについてこう語っている。
「ブルペンじゃすごい球を投げていたんだけど、試合になるとワンバウンドしたり大荒れになる。早く一軍で投げたいという意識が強い子だったけど、それが力みにつながったんだろうね。俺はこのままじゃダメだなと思って、投手コーチに言って、2週間くらいピッチングをさせず、キャッチボールと遠投、シャドーピッチでフォーム固めをさせた。嫌そうな顔をしていたけど、結果的には、故障で回り道しながらも一軍やメジャーでも活躍する大投手になった。少しはあのときの練習が役に立ったんじゃないかな」
郷に入っては郷に従えということわざを、チェンは異国の地で実践していた。来日当初から専属通訳がつかなかったため、必死に日本語を覚えてチームメートに話しかけていた。日本で成功したいという思いを持った青年は、すぐに溶け込んだ。左右のエースとして切磋琢磨した吉見一起とは特に仲が良く、慕っていた。現在も日本語を流ちょうに話す。異国の文化を吸収しようとする姿が、日本、アメリカと海外で活躍した要因と言えるだろう。
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元中日のチェン・ウェイン、“元チームメイト”たちとの写真を投稿する
元中日のチェン・ウェイン「コーチ、カッコイイね!」
チェン投手について明かしました。