■2025.01.20 中日スポーツ
川上憲伸さんが明かした岩瀬仁紀さんとの“秘話”、「ちょっとぐらい謝ってくれてもいいんじゃないかと思ったけど…」【野球殿堂】#川上憲伸 #岩瀬仁紀 #野球殿堂 https://t.co/FasdTLak4x
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■2025.01.20 中日スポーツ
川上憲伸さんが明かした岩瀬仁紀さんとの“秘話”、「ちょっとぐらい謝ってくれてもいいんじゃないかと思ったけど…」【野球殿堂】
中日のエースとして活躍した川上さんの入団年が1998年で、岩瀬さんは翌99年。1年遅れで入団した1学年上の岩瀬さんとは現役時代、大の仲良しだった。現役時代は常に行動をともにし、引退後も親交が深い盟友の殿堂入りに「時間の問題だと思っていたし、本当にうれしい」と喜ぶと、偉業については「僕はあのプロ初登板から立ち直ったことがすべてだと思う」と力説した。
1999年4月2日の開幕・広島戦(ナゴヤドーム)、2―1で迎えた6回2死二塁で打者・前田智徳というピンチでプロ初登板を迎えた岩瀬さんは、同点打を浴びると、続く江藤智、金本知憲にも打たれて逆転を許した。その後、チームは逆転勝ちして開幕11連勝、リーグ優勝の起点になったが、岩瀬さんは打者3人で1死も奪えずに降板という屈辱の幕開け。いきなり試練を迎えたが、中1日で同カードに登板すると、大量リードの中で9回1イニングを無失点で終え、名投手への道を歩み始めた。
「要は戻れるか戻れないかなんですよ。スライダーとかタフな体とか、岩瀬さんのすごいところはいろいろあるけど、あの失敗から立ち直った精神力がすごいんです」
こう話す川上さんは当時、岩瀬さんと距離があったという。岩瀬さんの初登板で勝利投手の権利を消した相手は、プロ2年目で初の開幕投手を務めていた川上さん。「なんでこの大事な場面で岩瀬さん? というのもあったし、(登板後に)ちょっとぐらい謝ってくれてもいいんじゃないかと思ったけど何もなくて…。その後にあることへの愚痴で意気投合して、ボケとツッコミみたいな関係で仲良くなったんですけどね」。懐かしそうに当時を振り返った。
「山本昌さんもそうだけど、岩瀬さんも一つのことを信じて取り組めるのがすごい」と話した川上さん。「あのスライダーを誰かに伝えてほしいというのはありますね」と後継者の育成を期待していた。
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山田久志さんが「中継ぎ、抑えを含め、リリーフの中でNO.1だ」と評価するのが…
レジェンド・岩瀬仁紀さん「DHじゃないとおかしいですよね。どこの世界の野球もDHなのに…」
岩瀬仁紀さんについて明かしました。