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元中日スカウト・中田宗男さんが「せめてあと5年早ければ…」と振り返るのが…

中田宗男

■2024.08.20 中日スポーツ



■2024.08.20 中日スポーツ

中日が世界を驚かせた『リナレス獲得』の裏側 五輪開催中のバルセロナで繰り広げられていた“高度な情報戦”
元中日スカウト・中田宗男さんが「せめてあと5年早ければ…」と振り返るのが…

 最初は1992年のバルセロナ。オールアマで構成された日本代表は伊藤智仁(三菱自動車京都→ヤクルト)、杉山賢人(東芝→西武)、小久保裕紀(青学大3年、ダイエー)など1位でプロ入りする選手を輩出しましたが、逆指名制度が導入されるのはこの翌年のこと。後述するアトランタ(96年)やシドニー(2000年)とは主目的が違いました。

 わざわざスペインまで足を運んだ理由は「アマ球界の有力者とのパイプの構築」でした。代表には日本野球連盟の幹部や選手の所属先の監督が同行しており、私はホテルではなく現地のアパートメントでアマ関係者5、6人と共同生活を送りました。

 最も欲しかったのはキューバ選手の門戸開放に関する情報です。当時のキューバは世界最強でリナレス、パチェコ、キンデラン、メサといった才能は、大リーグ垂ぜんの的。国外でのプレーを認められていませんでしたが、日本とは親交が深く「貸し出しという形ならあり得る」という情報が駆け巡っていました。タフな交渉の窓口はプロではなくアマ。虚と実が入り交じった情報を早く、正確につかむパイプの構築が急務でした。

 当時は金属バット。外角にボール1、2個外れていようとも踏み込んで打つ。そんなキューバの野球は見ているだけで楽しかった。実際に中日がリナレスを獲得して世界をアッと言わせたのはこの10年後。うれしかったですが、全盛期は過ぎており「せめてあと5年早ければ…」とも思ったものです。


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