■2024.03.25 中日スポーツ
米国含め5球団目…中日・中島の新天地に溶け込む原点は“ギョウザのタレ” 適応することを学んだ18歳の春#中日ドラゴンズ #ドラゴンズ #dragons#中島宏之https://t.co/Jk9HNdazeU
— 中日スポーツ (@chuspo) March 25, 2024
■2024.03.25 中日スポーツ
米国含め5球団目…中日・中島の新天地に溶け込む原点は“ギョウザのタレ” 適応することを学んだ18歳の春
「西武の寮に入って、ギョーザが出てきたんです。そしたらタレがないんですよ。僕、ビックリしたんですよ。え、ギョーザのタレないの?って」
笑いながら23年前の思い出を話してくれた。彼が生まれ育った関西では、自宅でも飲食店でもギョーザは専用のタレにつけて食べるのが常識だ。ところが関東では酢としょうゆを自分で調合する。
「そやから(1年下で関西出身の)栗山やおかわり(中村)が入ってきたら、教えたったんですよ。『こっちではギョーザのタレないんやで』って」
関西と関東。食文化の違いに驚いたがすぐに受け入れた。街が変われば常識も変わると知り、適応することを学んだ。
その7年後には世界を知る。2008年オフ、彼はチームメートのアレックス・カブレラを訪ねて、単身ベネズエラに向かった。前年にも渡ろうとしたが、治安を心配した周囲に止められた。満を持しての一人旅である。米国内から首都カラカスへの乗り継ぎ便のゲートが見つからない。あたふたしながらも乗り込むと、隣の席が偶然にも野球選手の家族だった。
「僕が日本の野球選手やって言うたら『任せて』って。空港に着いたらカブレラも迎えに来てくれていました。そしたら『野球場へ行くぞ』って連れて行かれて、一緒に練習したんですよ」
ウインターリーグのチームに合流し、即席のチームメートとしてみんなが歓迎してくれた。さすがに断ったが「試合にも出ろよ」とすら誘ってくれた。
翌年はヒラム・ボカチカを訪ねてプエルトリコにも飛んだ。野球をやろう。旺盛な好奇心を持つ彼は、それだけで溶け込める。ギョーザを酢じょうゆで食べたのが適応力の出発点。この日の殊勲打への喝采は、そんな中島を名古屋のファンも受け入れた証しである。
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