■2024.03.18 47NEWS
中日のノーヒッター山井大介が、縁もゆかりもない東北で今も支援を続ける理由 「草野球の兄ちゃんと思われてもいい」覚悟の施設訪問から11年 #知り続ける https://t.co/92xz2CK36R #ニュース #コラム #47リポーターズ
— 47NEWS (@47news_official) March 18, 2024
■2024.03.18 47NEWS
中日のノーヒッター山井大介が、縁もゆかりもない東北で今も支援を続ける理由 「草野球の兄ちゃんと思われてもいい」覚悟の施設訪問から11年 #知り続ける
東日本大震災から2年がたった2013年12月、当時プロ野球中日の投手だった山井大介さんは、宮城県気仙沼市の児童養護施設「旭が丘学園」をいきなり訪問した。
「震災で親を亡くした子もいるだろう」と考えての行動だった。これまでにプロ野球選手が来ていない場所を選んだ。ただ、中日ドラゴンズは名古屋が本拠地で、東北に縁もない自分が知られているとは思えない。
「草野球の兄ちゃんと思われるかも分からない。それでも、勇気づけに行くぞ」
覚悟を決めて飛び込むと、想像以上の歓待を受けた。「子どもたちが元気すぎてこっちがパワーをもらった」。帰り道では早くも翌年のことに考えを巡らせていた。
震災被災地との交流や支援活動は、選手を引退して投手コーチになった今も続けている。
原点にあるのは、自分が高校生の時に被災した阪神大震災。「あの辛さを知っているから、助けを求めている人がいればちょっとでも何かをしてあげたいなと思う。少しでも笑顔を取り戻したい」と語る。(共同通信=寺内俊樹)
▽「待ってくれている人がいる」
1995年1月17日。兵庫・神戸弘陵高1年時に阪神大震災に見舞われた。大阪府豊中市の自宅マンションは地震で家財が散乱し、断水。建物に亀裂も入った。日常は一変し、過酷な日々が続いた。「何もできなかった」
その後、プロ野球選手として活躍していた2011年に東日本大震災が起きる。
「支援したいという思いは心の中にずっとあった。足を運んでできるようなことをしたい」
募金以外にできることはないかと日頃から考えていた。その第一歩は、自分の快投がきっかけになった。2013年6月28日のDeNA戦でノーヒットノーランを達成。記念グッズの売り上げで、被災地に野球用具を寄付した。
「旭が丘学園」を初めて訪問したのはその年のオフ。翌年の2度目の訪問では「おかえりなさい」「ありがとう」とメッセージを掲示して、迎えてくれた。
「待ってくれている人がいる」
いつしか被災地訪問がプロ野球で現役を続けるモチベーションとなった。
▽「もう震災は関係なくなっているけれど」
施設には複雑な環境で育ち、教育や愛情を満足に受けていない子もいる。「もう腕を離さないですよ。僕の取り合い」と思い返す。子どもの入れ替わりも激しい一方で、最初の訪問時からいつも出迎えてくれる子もいる。
「あの子たちの顔を思い浮かべると続けることの大切さもあるのかな。もう震災のことが関係なくなっているけど、小さな子どもたちと一緒に遊べるのもまたいいな」
当初はグラブやボールだった贈り物は、園庭の広さや小さな子どものことを考え、おもちゃに変えた。仙台市での楽天戦にも招待。マウンドでの勇姿を見せた。
直前に出場選手登録を外れ、立ち会えなかったときもある。その時は球場案内や選手との写真撮影を手配し、喜んでもらおうと力を尽くした。支援は野球教室の開催などへ広がった。新型コロナウイルス禍で足を運べなかった2020年はクリスマスプレゼントを贈った。
▽「ユニホームを脱いでも続けたい」
被災地では復興の現実を目の当たりにした。2013年の時点でも「何もなかった」。沿岸部の街並みは消え、工事車両ばかりが往来する。鉄骨だけが残る宮城県南三陸町の防災対策庁舎などの震災遺構で津波の猛威を目にし、恐怖を覚えた。
夜の町も静かだった。少しでも力になれればと、気仙沼市の復興屋台村で何軒もはしご。「ばーって飲んで、お金を置いて、隣に行こうってずっとやって。あの時こそ、本当に復興支援をしてたという感じがした」
一方で、訪れる度に新たな出会いがあり、大切なつながりになっていく。たとえば、妻や娘を含めた親族7人を失った千葉清英さんが、一人生き残った長男瑛太くんとの約束でつくったバッティングセンター。被災地の支援は「ユニホームを脱いでも続けたい」と強く思うようになった。
▽「自然と手を出せたら」原点に父の教えも
「野球がいろんな人に力を与えられるのなら、支援の輪が広がっていったらいい」と現役選手にも力を借りた。仙台市出身で中学2年時に被災した中日の梅津晃大投手や岩手県一関市出身の楽天の阿部寿樹内野手らに声をかけた。支援活動を続ける先輩の姿は、梅津投手の胸に響いたようだ。「すごく喜んでくれた。山井さんのように続けられることはすごいことだし、いつかは自分の力で行けるような選手になりたい」
1月の能登半島地震では、物資を運ぶという知人の2トントラックに水を大量購入して積み込んだ。山井さんの活動の原点には、親の教えもあるという。
「使命感とか、そんな堅苦しいものではなくて。困っている人がいたら、自然と手を出せたら、というのは父の教え」
待ってくれている人のために手を差し伸べ続ける。
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