■2023.12.30 CBCラジオ
『若狭敬一のスポ音』
…
若狭アナ:
松田亘哲さん、
プロを目指してからは、つまり大学中にプロにいこうと決めてからは、
プロになれないイメージは湧かなかった。
夢を叶えたアスリートの公演や本などを呼んだり見たりすると、
みんな、そう言いますよね。
人に笑われても自分が信じた夢を諦めずに突き進めば叶う、
その通りの人生だったんです。
自信と希望に満ち溢れてドラゴンズに入りました。
ところが、1月の新人合同自主トレのよ~いドンのキャッチボールで、
その自信と希望に不安が差し込んできた。
なぜなら味方の岡林勇希という選手とキャッチボールをした時に、
松田:
あれっ? 俺とボールが全然違う。
えっ?高校生だよなぁ?
えっ?これがプロ?ヤバいな…と思い始めた。
そうです。
2020年が1年目でした。
コロナもあってなかなか練習ができなかった。
そして不安がどんどんどんどん大きくなっていって、
焦りに繋がって、無理をして、1年目は左肩をケガをして、
結局、実戦登板0でした。
左肩が回復した2年目は16試合、3年目は26試合登板をしているんですが、
実は「イップス」、イップスという言葉は使っていませんし、
「イップスでしたか?」と尋ねると、きっと否定するんでしょうが、
客観的に見ると、そう言われても仕方がないような状態、
制球を乱した、コントロールが不安定になった。
それが何度も、何度も重なって、制御不能になった。
そして4年目の今年、12試合の登板に終わり、
結局、戦力外通告を受けたということだったんですが、
彼との色々と取材をした過去を紐解くと、
一番症状が酷かった時は、彼は左利きですので、
まず右足を上げるんですよね。
想像してみてください。
サウスポーはまず右足を上げます。
そしてキャッチャー方向、バッター方向へ並進運動、
少し平行に体重移動していって右足がボンと着いた時に、
左手というのは、いわゆるトップの位置に、さぁ投げますよという位置にあるんですが、
ここで止まるんですって、
「そんなこと、松田くん、ある?」と。
松田:
僕はブルペンで何度も止まりました。
プロ野球選手ですよ?
プロ野球選手が投げるのをやめちゃうんですよね。
ここから手が動かないんです。
と松田さんはおっしゃていました。
なぜかと言うと、
2年目、3年目、4年目、試合に投げられるようになっていって、
自慢だったあのMAX148km/hのストレートが制御不能になり、
コントロールが乱れて、どうもストレートを投げると、
左バッターのインハイ、右バッターのアウトハイにビュンビュン抜けていくイメージしか沸かなくなった。
結果、投球動作をし始めると、
脳が勝手に体を止めるんですって。
「松田くん、このあと投げるとストレートがまた明後日の方向に抜けますよ」と、
脳が勝手に司令するもんですから、自分の心とは全く逆ですよ。
投げたいんですけども体を止めちゃう。
それでも「イップス」という言葉は使わなかったそうです。
もう、これはイップスなんですよ。
今となったらイップスと言えるんですが、当時は使わなかった。
イップスという言葉を使うと、これはとっても楽なんですって。
もうメンタル、心の問題だから、
それは、しょうがない。
それは=もう終わりなんですって、松田さんいわく、
これはなぜなら、例えば心の病ということで、
それを解決しようと心療内科に行ったりだとか、
メンタルトレーナーを着けてもらったりだとか、
カウンセリングを受けてたりして、心をなんとか鎮めたりしても、
プロ野球選手である以上は、また野球をしなきゃいけない。
そしてまた野球の動作には入ってた時に、また脳が勝手に止めてしまうと。
結局、あの日、あの時、あのバッターに投げた、あの1球が原因だったとは明確ではないんですが、
ずっと積み重なっていった失敗体験。
ミルフィーユのように1枚、1枚、失敗、ミス、不安が、積み重なることによって、
脳が体を勝手に止まってしまうまでのところにきてしまっている。
となると、野球でもってその1枚、1枚を成功に変えていかなければいけない。
それは物凄い根気がいるし、体力も要るんです。
そりゃそうですよね。
1つ1つ、小さな成功体験を積み重ねていけないといけないので、
体力もいる、気力もいる、時間もかかる。
さぁどうしようとなった松田投手は色々な人にアドバイスを求めたそうなんですが、
光を指してくれたのは山井コーチでした。
山井コーチ:
マッチ、
ストレートが抜けるイメージがあるんだったら、
思い切ってストレートをやめてみようか?
と。
この発想はなかったそうです。
「だいたいピッチャーの生命線は真っすぐだ」「真っすぐがあっての変化球だ」と、そういうふうに言われます。
ところが、山井コーチは、
山井コーチ:
マッチ、
ストレートが抜けるのが怖くて今の状態になっているんだったら、
ストレートをやめてみよう。
ということで、
なぜか松田投手というのは、
カーブやスライダーを投げる時は思い切り腕が振れてストライクも取れる、良いところに決まるんですが、
ストレートだけ抜けてしまう。
だったら、そのストレートをやめようということで、
なんとツーシームに変えたんですね。
このあたりは、本番でもこの前、話してくれました。
彼の球種の中で、ストレートを無くしているんです。
こんなピッチャーはほぼいないと思いますよ。
ツーシームでなんとかストレート代わりに使っていく。
つまりはストレートで積み重なっていったミルフィーユのような失敗体験を、
山井投手コーチの一言によって、一気に0にしてくれた。
本来は、それを1個、1個の成功体験に変えていかなければいけないんだけども、
もう、それはやめた。
で、ストレートを無くすという(笑)
かなりの荒療治に出て、ツーシームに変えたら、
これがビックリ、ツーシームは腕が振れる、ストライクも入る。
そしてちょっと微妙に曲がりますから、シュート回転で。
結構、バッターを抑えられる。
これが今年のNEW松田誕生の瞬間だったんです。
もうシーズン中でした。
そしてそのNEW松田でもって徐々に徐々に実戦で結果が出るようになっていった。
だから彼は4年間をこうまとめてくれました。
松田:
最初の3年で名古屋大学4年で培った自信は0になった。
どん底に落ちた。
全く体も動かなくなった。
でも今年、この4年目のシーズン中に、
山井さんのアドバイスでまさかのストレートをやめて、
ツーシームにしてちょっとNEW松田が出てきて、
ちょっと心も体も成績も上向きになった。
そこでクビだった。
だからこそセカンドキャリアには前向きに進めるんです。
と。
これ、おそらくNEW松田が現れずにプロ野球人生が終わっていたら、
もうプロ野球の4年間で自信喪失しかないわけですよ。
どん底しかないわけです。
この最後、NEW松田が出てきて、ちょっと上向きになってやめられたのが、
とっても良かったと話していたんですよねぇ。
だからイップスという言葉を結局は使いませんでしたが、
そうなった時というのは誰かのアドバイスによって、
思い切った荒療治によって今までの失敗体験を全部0にして、
新しいことをやっていって克服という道が拓けるということなんですね。
プロ野球選手の良いところだけではなく、つらく厳しいところも体験している松田亘哲さん、
第2の人生はどんな人生になるのか、とても楽しみですし、
そんな痛みの分かる人が伝える言葉はまた深みがあると思いますので、
今後も応援していきたいと思います。
『若狭敬一のスポ音』
毎年、滝行でお世話になっている倶利加羅不動寺の森下瑞堂住職がゲスト出演。さらにパーソナルトレーニングができるカロリートレードジャパンの宮坂和杜トレーナーが登場。年末年始に大きくなりそうな体を引き締めたい方は必聴です。「大谷ノブ彦のキスころ濃縮版」は辰年のドラゴンズについてです! pic.twitter.com/k629FEXw7m
— 若狭敬一のスポ音 (@cbcspoon1053) December 30, 2023
今年も「スポ音」をお聞き頂き、ありがとうございました。年始は1月6日(土)からです。ゲストは大野奨太コーチ!質問をお寄せください。新コーナー「朝はTHETIME,」では列島中継の感想をお待ちしています。新コーナーへのお便りの中から抽選でドラゴンズ関連グッズをプレゼント。お楽しみに! pic.twitter.com/KnS11chmyf
— 若狭敬一のスポ音 (@cbcspoon1053) December 30, 2023
…
若狭アナ:
松田亘哲さん、
プロを目指してからは、つまり大学中にプロにいこうと決めてからは、
プロになれないイメージは湧かなかった。
夢を叶えたアスリートの公演や本などを呼んだり見たりすると、
みんな、そう言いますよね。
人に笑われても自分が信じた夢を諦めずに突き進めば叶う、
その通りの人生だったんです。
自信と希望に満ち溢れてドラゴンズに入りました。
ところが、1月の新人合同自主トレのよ~いドンのキャッチボールで、
その自信と希望に不安が差し込んできた。
なぜなら味方の岡林勇希という選手とキャッチボールをした時に、
松田:
あれっ? 俺とボールが全然違う。
えっ?高校生だよなぁ?
えっ?これがプロ?ヤバいな…と思い始めた。
そうです。
2020年が1年目でした。
コロナもあってなかなか練習ができなかった。
そして不安がどんどんどんどん大きくなっていって、
焦りに繋がって、無理をして、1年目は左肩をケガをして、
結局、実戦登板0でした。
左肩が回復した2年目は16試合、3年目は26試合登板をしているんですが、
実は「イップス」、イップスという言葉は使っていませんし、
「イップスでしたか?」と尋ねると、きっと否定するんでしょうが、
客観的に見ると、そう言われても仕方がないような状態、
制球を乱した、コントロールが不安定になった。
それが何度も、何度も重なって、制御不能になった。
そして4年目の今年、12試合の登板に終わり、
結局、戦力外通告を受けたということだったんですが、
彼との色々と取材をした過去を紐解くと、
一番症状が酷かった時は、彼は左利きですので、
まず右足を上げるんですよね。
想像してみてください。
サウスポーはまず右足を上げます。
そしてキャッチャー方向、バッター方向へ並進運動、
少し平行に体重移動していって右足がボンと着いた時に、
左手というのは、いわゆるトップの位置に、さぁ投げますよという位置にあるんですが、
ここで止まるんですって、
「そんなこと、松田くん、ある?」と。
松田:
僕はブルペンで何度も止まりました。
プロ野球選手ですよ?
プロ野球選手が投げるのをやめちゃうんですよね。
ここから手が動かないんです。
と松田さんはおっしゃていました。
なぜかと言うと、
2年目、3年目、4年目、試合に投げられるようになっていって、
自慢だったあのMAX148km/hのストレートが制御不能になり、
コントロールが乱れて、どうもストレートを投げると、
左バッターのインハイ、右バッターのアウトハイにビュンビュン抜けていくイメージしか沸かなくなった。
結果、投球動作をし始めると、
脳が勝手に体を止めるんですって。
「松田くん、このあと投げるとストレートがまた明後日の方向に抜けますよ」と、
脳が勝手に司令するもんですから、自分の心とは全く逆ですよ。
投げたいんですけども体を止めちゃう。
それでも「イップス」という言葉は使わなかったそうです。
もう、これはイップスなんですよ。
今となったらイップスと言えるんですが、当時は使わなかった。
イップスという言葉を使うと、これはとっても楽なんですって。
もうメンタル、心の問題だから、
それは、しょうがない。
それは=もう終わりなんですって、松田さんいわく、
これはなぜなら、例えば心の病ということで、
それを解決しようと心療内科に行ったりだとか、
メンタルトレーナーを着けてもらったりだとか、
カウンセリングを受けてたりして、心をなんとか鎮めたりしても、
プロ野球選手である以上は、また野球をしなきゃいけない。
そしてまた野球の動作には入ってた時に、また脳が勝手に止めてしまうと。
結局、あの日、あの時、あのバッターに投げた、あの1球が原因だったとは明確ではないんですが、
ずっと積み重なっていった失敗体験。
ミルフィーユのように1枚、1枚、失敗、ミス、不安が、積み重なることによって、
脳が体を勝手に止まってしまうまでのところにきてしまっている。
となると、野球でもってその1枚、1枚を成功に変えていかなければいけない。
それは物凄い根気がいるし、体力も要るんです。
そりゃそうですよね。
1つ1つ、小さな成功体験を積み重ねていけないといけないので、
体力もいる、気力もいる、時間もかかる。
さぁどうしようとなった松田投手は色々な人にアドバイスを求めたそうなんですが、
光を指してくれたのは山井コーチでした。
山井コーチ:
マッチ、
ストレートが抜けるイメージがあるんだったら、
思い切ってストレートをやめてみようか?
と。
この発想はなかったそうです。
「だいたいピッチャーの生命線は真っすぐだ」「真っすぐがあっての変化球だ」と、そういうふうに言われます。
ところが、山井コーチは、
山井コーチ:
マッチ、
ストレートが抜けるのが怖くて今の状態になっているんだったら、
ストレートをやめてみよう。
ということで、
なぜか松田投手というのは、
カーブやスライダーを投げる時は思い切り腕が振れてストライクも取れる、良いところに決まるんですが、
ストレートだけ抜けてしまう。
だったら、そのストレートをやめようということで、
なんとツーシームに変えたんですね。
このあたりは、本番でもこの前、話してくれました。
彼の球種の中で、ストレートを無くしているんです。
こんなピッチャーはほぼいないと思いますよ。
ツーシームでなんとかストレート代わりに使っていく。
つまりはストレートで積み重なっていったミルフィーユのような失敗体験を、
山井投手コーチの一言によって、一気に0にしてくれた。
本来は、それを1個、1個の成功体験に変えていかなければいけないんだけども、
もう、それはやめた。
で、ストレートを無くすという(笑)
かなりの荒療治に出て、ツーシームに変えたら、
これがビックリ、ツーシームは腕が振れる、ストライクも入る。
そしてちょっと微妙に曲がりますから、シュート回転で。
結構、バッターを抑えられる。
これが今年のNEW松田誕生の瞬間だったんです。
もうシーズン中でした。
そしてそのNEW松田でもって徐々に徐々に実戦で結果が出るようになっていった。
だから彼は4年間をこうまとめてくれました。
松田:
最初の3年で名古屋大学4年で培った自信は0になった。
どん底に落ちた。
全く体も動かなくなった。
でも今年、この4年目のシーズン中に、
山井さんのアドバイスでまさかのストレートをやめて、
ツーシームにしてちょっとNEW松田が出てきて、
ちょっと心も体も成績も上向きになった。
そこでクビだった。
だからこそセカンドキャリアには前向きに進めるんです。
と。
これ、おそらくNEW松田が現れずにプロ野球人生が終わっていたら、
もうプロ野球の4年間で自信喪失しかないわけですよ。
どん底しかないわけです。
この最後、NEW松田が出てきて、ちょっと上向きになってやめられたのが、
とっても良かったと話していたんですよねぇ。
だからイップスという言葉を結局は使いませんでしたが、
そうなった時というのは誰かのアドバイスによって、
思い切った荒療治によって今までの失敗体験を全部0にして、
新しいことをやっていって克服という道が拓けるということなんですね。
プロ野球選手の良いところだけではなく、つらく厳しいところも体験している松田亘哲さん、
第2の人生はどんな人生になるのか、とても楽しみですし、
そんな痛みの分かる人が伝える言葉はまた深みがあると思いますので、
今後も応援していきたいと思います。
CBCに就職する元中日・松田亘哲さん、セカンドキャリアに直面し「自分に何ができるのか」を考えた結果が…
元中日・松田亘哲さん、CBCテレビ(中部日本放送)に就職へ!!!
松田投手、セカンドキャリアへ歩み始めました。