■2023.12.08 スポーツナビ
05年、夏の甲子園で大阪桐蔭・平田1位を決めた落合監督 右肘故障の吉見を「説得」して自由枠で獲得
— スポーツナビ 野球編集部 (@sn_baseball_jp) December 8, 2023
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■2023.12.08 スポーツナビ
05年、夏の甲子園で大阪桐蔭・平田1位を決めた落合監督 右肘故障の吉見を「説得」して自由枠で獲得
星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録 中田宗男
「自信がない」吉見を説得
吉見一起は金光大阪高時代から注目していたピッチャーだった。
この頃、現在はチーフスカウトを務める米村明も関西地区担当として駆け出しスカウトの1人だった。吉見が2年の秋だっただろうか、そんな米村に吉見のピッチングを見せた。
「いいか、このピッチャーがドラフト指名ボーダーラインのレベルだ。このピッチャーを良く見て基準にしておけ。これよりも良いピッチャーなら上位候補、これより劣るピッチャーなら候補から消してもいい」
とにかく吉見が基準になるピッチャーだからよく見ておけよと話した。
米村はそれから吉見を徹底マークして見守り続けた。そうして一冬を越えると、吉見はものすごく成長してドラフト上位クラスのピッチャーになった。米村はそう思った。
吉見が良くなったのは間違いなかったが、他の候補との兼ね合いなどを含めて、最終的に誰を1位で、誰を上位でいくのかを判断するのは部長の私の役目なのだが、米村は「上位でいかせてください」とうっかり学校側に言ってしまった。これは米村の勇み足だった。私は米村を連れて学校に向かい、事情を説明した。
この年は早稲田大の和田をはじめ、何人かの大学生を自由獲得枠で狙っていたし、ダメなら明徳義塾高の森岡でいこうと早くから考えていた。上位指名の候補者はある程度絞り込んでいたため、吉見の上位指名は難しい状況だったのだ。
吉見本人がプロ入りを希望すればおそらく4位か5位くらいでは指名されていたと思うが、本音を言えば、社会人でワンクッション置いたほうが良いタイプだと思っていた。
結局、吉見はトヨタへ進むことを選んだ。このとき3年後に獲りたいなと考えていた。
トヨタに入社後、吉見は右肘を手術していてその回復具合が気になった。だがある一時期は良いボールを投げていたし、高校時代の良かったときも見ているので担当スカウトには「吉見の逆指名を獲りにいくぞ」と話していた。だが、いざ獲りにいくと本人は「自信がない」という。「心配しなくても、今の中日は投手陣が豊富だし、2、3年後に出てきてくれれば良いから。とりあえずウチに入って1年間しっかり治して、2年目に投げ出して、3年目で一軍で投げてくれればいいから」と説得した。吉見の家族にも同じように話をして、なんとか逆指名してもらうことができた。
落合さんに吉見を希望枠で獲得する旨を報告をすると「怪我をしているのに獲らないといけないわけでもあるのか?」と初めは訝しがられた。だが「今年獲っておかないと来年になったら争奪戦になりますよ」と説明すると、「そんなにいいなら獲ろうか」と理解してくれた。
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中日・大野雄大投手「中日ドラゴンズ投手陣が四球絡みで逆転されてしまうことが多いんですけど、吉見さんであればどんなふうに声をかけて、指導されて改善されますか?」 → 吉見一起さんが回答する
吉見一起さん「ツーシームって投げすぎると野球人生終わるよ」
当時の指名経緯を明かしました。