■2023.07.19 共同通信公式
「僕を見て2千本を打った選手だと思いますか?」球界随一の守備力を誇った中日の二遊間、荒木雅博さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(23) | 2023/7/19 – 47NEWS https://t.co/nFLH4z3sp3
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■2023.07.19 47NEWS
「僕を見て2千本を打った選手だと思いますか?」球界随一の守備力を誇った中日の二遊間、荒木雅博さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(23)
▽「アライバ」で守り勝つ野球を体現
2千安打を打てたのは内野手だったから。外野手だったら、僕の打撃ではとっくに終わっているでしょう。ちょっと調子が悪くても二遊間を守っているから外せないというところにいたので。それで出続けられたことによって2千本が打てました。体が強かったというのが一番の持ち味です。通算打率も最後は2割7分を切っていて、それでも出させてもらいました。球団に対しての感謝は常に持っています。1800本ぐらいになって、もうちょっと打ちたいなとなりましたね。それまでは本当に考えてなかったです。レギュラーを張ることすら無理だろうと思いながら始まったプロ野球人生ですから。
スイッチヒッターは3年目の頭から始めました。左の方がバントもうまかったです。たぶん、5年目のファームの成績は左で結構打っていますよ。3割は超えていました。もしかすると(1軍で)スイッチだったら、もっと良かったかもしれません。でも何か一つ自分のものにしようと思ったら、そう簡単にはできないということですよね。3年やってやめましたけど、やるんであれば、5、6年やるべきだったのかなと思うし、逆にもう終わっていたかなとも思います。あの頃の僕はプロ野球のやり始めの時期でしたから、やれと言われたら、はい、やりますと言う世界。がむしゃらにやるしかなかった。がむしゃらにやってきて23年。うまく上の人(指導陣)が引っ張り上げてくれました。不思議だと思いませんか、僕を見て。2千本を打った人じゃないみたいと、よく言われます。
「アライバ」コンビには何の企業秘密もありません。経験ですよね。(打球がどこに飛ぶか)分かることはありませんが、反応は良かったと思います。考えるというより体で覚えていくしかないです。最初のうちはミスもたくさんしますよね。見えないミスを。守る位置はそこじゃなかったなとか、結構あります。そういうのを覚えて次の機会に生かしていきます。井端さんが横にいたので、どこらへんを守りますか、どういう考えで守りますかというのは、よく話していました。
サインが出て動くのがあまり好きじゃなかったので、サインが出る前に、だいたい次はこれを投げるだろうというので、捕手が投手へ返球する時には次の所に移動しています。谷繁元信さんが、ほぼ一人でマスクをかぶられていたので、予測予測で。出だしの頃は守っている位置が違うと言われて「井端さん、どこですかね」と話を聞きながら、いろいろ迷惑をかけましたけど、一つずつ勉強していきました。最後はある程度のところに守れたのではないですか。
(定位置から)大きくは動かないです。右側なら右側に気持ちを持っていっていれば、それだけで広く動けるわけです。動いても1メートルですね。打者によって思い切り2、3メートル動いたことはあります。ピッチャーが良かったからですね、あの時は。守りもしっかり守れていたと思います。野球っていろんな作戦がありますけど、守り勝つというのを体現できた期間でした。
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中日・荒木雅博コーチ、ドラフト2位・村松開人を“厳しく厳しく厳しく指導”する
質問「Q.チームで一番尊敬されていた選手は?」 → 井端弘和さんと中日・荒木雅博コーチの回答が一致する
荒木コーチが語ります。