■2021.07.02 東海ラジオ
『源石和輝!抽斗(ひきだし)!』
…
『中日・京田陽太選手、初の2軍降格の話題の続き』
源石アナ:
実際に京田選手に話を聞いたわけではないですけども、
初めて2軍に落ちるというのは、
やっぱりショックが凄く大きかっただろうなということが想像できますけども。
井端:
まぁ羨ましい限りですよね、2軍を経験しないというところでは。
本当にいいきっかけにはなるんじゃないかなと思いますよね、やっぱり。
ここで結果を出すという意味では2軍はちょっと違うかなと思いますし、
やっぱり1軍とは待遇も何も全て違うので、
僕は2年間は2軍でやったんですけど、
死物狂いで「1軍に行きたい」としか思っていなかったですよね…(笑)
源石アナ:
2年間の2軍生活を通して1軍に上がった時の喜びといったら。
井端:
「もう二度と落ちたくない」と思いましたし、
当時、今の2軍監督の仁村徹さんだったんですけど、
今だから言いますけど本当に厳しかったんですよ。
なので「この人と一緒に野球をやりたくない」と思いました、正直。
源石アナ:
(笑)
井端:
もう言いますよ。
「そうするのにはどうしたらいいのかな?」といったらやっぱり1軍上がることですし、
1軍上がれば上がったで「顔を合わせなくていいんだ!」と思ったので、
そしたら2年後ぐらいに1軍のコーチになっていたので(笑)
源石アナ:
(笑)
井端:
そしたら1軍に行ったら、ちょっと今までの扱いとは変わっていたんですけど(笑)
源石アナ:
仁村さんは僕らは利害関係は全く無いですから、
社内で会っても「めちゃくちゃ優しくて良い人だな」と思うんですけど、
2軍監督の時は全然違ったんですね?
井端:
そうですね。
僕から言わせてみれば「みんな騙されているんじゃないの?」というふうには思っているんですけど(笑)
源石アナ:
(笑)
井端:
今は僕も普通に喋れるのでこういうふうに昔話のように言える状態になったのでいいですけど、
当時はそう思っていても言えないんですよ。
言ったらどうなるか分からないので(笑)
源石アナ:
(笑)
でも、そういうのも含めて「2軍に帰ってくるなよ」という思いを含めて色々と厳しかったということもあるでしょうね。
井端:
良い環境で2年間やらせてもらったかなと思うんですね、やっぱり。
その厳しい環境と仁村さんのプレッシャーとか諸々与えられてたんですけど、
1軍でやった時のプレッシャーというのはそんなレベルとは全然違ったので、
そこはある程度良かったなと思いながら感謝はしていますけどね。
源石アナ:
そういう意味を込めて、
優しさゆえの鬼軍曹ぶりだったということにしておきましょうか。
井端:
たぶんそうだったと思いますよ。
源石アナ:
そうですよね(笑)
井端:
オフは優しいので。
シーズン終わったら、2ヶ月間は優しいので(笑)
源石アナ:
なるほど(笑)
12ヶ月の内、2ヶ月間の優しさ。
仁村徹さんの話がメインに最後なってきましたけど、
京田選手もきっとそれを思って1軍でプレーしているでしょうね。
井端:
そうですね。
やっぱり名古屋の夏は暑いですし、日中の試合なので、
本当に1軍でバンテリンドームで試合をした時というのは「こんなに楽なのか!」と思いましたので、
その楽さを味わったら、もうナゴヤ球場には行けないなというふうには思ってしまったので、
この生活はじゃないですけど、この1軍は手放せないとずっと思ってやっていましたね。
『源石和輝!抽斗(ひきだし)!』
#源石和輝 #ひきだし
— 東海ラジオ源石和輝!抽斗! (@hikidashi1332) July 2, 2021
【ドラの抽斗!】
ガッツナイター解説者の#井端弘和 さんに京田陽太選手
についてお話しいただきます⚾️
井端さんはこのあと #ドラステ+
にも出演しますよ!#東海ラジオ #源石和輝 pic.twitter.com/E6uiY4SA7A
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『中日・京田陽太選手、初の2軍降格の話題の続き』
源石アナ:
実際に京田選手に話を聞いたわけではないですけども、
初めて2軍に落ちるというのは、
やっぱりショックが凄く大きかっただろうなということが想像できますけども。
井端:
まぁ羨ましい限りですよね、2軍を経験しないというところでは。
本当にいいきっかけにはなるんじゃないかなと思いますよね、やっぱり。
ここで結果を出すという意味では2軍はちょっと違うかなと思いますし、
やっぱり1軍とは待遇も何も全て違うので、
僕は2年間は2軍でやったんですけど、
死物狂いで「1軍に行きたい」としか思っていなかったですよね…(笑)
源石アナ:
2年間の2軍生活を通して1軍に上がった時の喜びといったら。
井端:
「もう二度と落ちたくない」と思いましたし、
当時、今の2軍監督の仁村徹さんだったんですけど、
今だから言いますけど本当に厳しかったんですよ。
なので「この人と一緒に野球をやりたくない」と思いました、正直。
源石アナ:
(笑)
井端:
もう言いますよ。
「そうするのにはどうしたらいいのかな?」といったらやっぱり1軍上がることですし、
1軍上がれば上がったで「顔を合わせなくていいんだ!」と思ったので、
そしたら2年後ぐらいに1軍のコーチになっていたので(笑)
源石アナ:
(笑)
井端:
そしたら1軍に行ったら、ちょっと今までの扱いとは変わっていたんですけど(笑)
源石アナ:
仁村さんは僕らは利害関係は全く無いですから、
社内で会っても「めちゃくちゃ優しくて良い人だな」と思うんですけど、
2軍監督の時は全然違ったんですね?
井端:
そうですね。
僕から言わせてみれば「みんな騙されているんじゃないの?」というふうには思っているんですけど(笑)
源石アナ:
(笑)
井端:
今は僕も普通に喋れるのでこういうふうに昔話のように言える状態になったのでいいですけど、
当時はそう思っていても言えないんですよ。
言ったらどうなるか分からないので(笑)
源石アナ:
(笑)
でも、そういうのも含めて「2軍に帰ってくるなよ」という思いを含めて色々と厳しかったということもあるでしょうね。
井端:
良い環境で2年間やらせてもらったかなと思うんですね、やっぱり。
その厳しい環境と仁村さんのプレッシャーとか諸々与えられてたんですけど、
1軍でやった時のプレッシャーというのはそんなレベルとは全然違ったので、
そこはある程度良かったなと思いながら感謝はしていますけどね。
源石アナ:
そういう意味を込めて、
優しさゆえの鬼軍曹ぶりだったということにしておきましょうか。
井端:
たぶんそうだったと思いますよ。
源石アナ:
そうですよね(笑)
井端:
オフは優しいので。
シーズン終わったら、2ヶ月間は優しいので(笑)
源石アナ:
なるほど(笑)
12ヶ月の内、2ヶ月間の優しさ。
仁村徹さんの話がメインに最後なってきましたけど、
京田選手もきっとそれを思って1軍でプレーしているでしょうね。
井端:
そうですね。
やっぱり名古屋の夏は暑いですし、日中の試合なので、
本当に1軍でバンテリンドームで試合をした時というのは「こんなに楽なのか!」と思いましたので、
その楽さを味わったら、もうナゴヤ球場には行けないなというふうには思ってしまったので、
この生活はじゃないですけど、この1軍は手放せないとずっと思ってやっていましたね。
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オフの2ヶ月だけは優しいようです。