■2020.05.03 スポスタ魂
─1002試合登板と407セーブ、前人未到の大記録を築いた伝説のクローザー岩瀬仁紀。これまで明かさなかった輝かしい記録の裏に隠された胸の内。長年、岩瀬を取材してきた佐藤啓に打ち明けた。誰も知らない「鉄腕の素顔」。岩瀬はあの時何を感じていたのか…。
『2004年4月2日 “クローザー岩瀬”誕生秘話』
─1999年ドラフト2位で入団した岩瀬はルーキーイヤーから中継ぎとして活躍。最優秀中継ぎ投手を3度獲得するなど球界を代表するセットアッパーとなった。そして2004年、落合が監督就任。その時が訪れる。
岩瀬:
キャンプが始まる前日に、
(川上)憲伸と2人部屋だったんですけど、
そこに監督が来まして。
佐藤アナ:
監督が部屋にいらしゃったんですか?
岩瀬:
はい。
「川上、お前は開幕無いからな」って言って、
その後「岩瀬、お前は抑えだ」って言って去って行ったんですよ。
佐藤アナ:
それだけ言って去ってたんですか部屋から(笑)
はぁ~!それで行末が決まりましたね。
岩瀬:
そうですね。
「抑えだ」と言われて…それまで先発したい気持ちもありましたけど、
やっぱり抑えとなると、それなりの覚悟を持ってやらないといけないので、
だからそこを任された以上「自分がしっかり守ってやるぞ!」っていう気持ちにはなりましたね。
佐藤アナ:
中継ぎと抑えの1番の違いは何ですか?
岩瀬:
そうですね。
“誰も助けてはくれない”ってところですね。
─この年、開幕戦の9回に登板しセーブを記録。その後のドラゴンズ黄金期を支えた守護神・岩瀬の初仕事となった。
─1002試合登板と407セーブ、前人未到の大記録を築いた伝説のクローザー岩瀬仁紀。これまで明かさなかった輝かしい記録の裏に隠された胸の内。長年、岩瀬を取材してきた佐藤啓に打ち明けた。誰も知らない「鉄腕の素顔」。岩瀬はあの時何を感じていたのか…。
『2004年4月2日 “クローザー岩瀬”誕生秘話』
─1999年ドラフト2位で入団した岩瀬はルーキーイヤーから中継ぎとして活躍。最優秀中継ぎ投手を3度獲得するなど球界を代表するセットアッパーとなった。そして2004年、落合が監督就任。その時が訪れる。
岩瀬:
キャンプが始まる前日に、
(川上)憲伸と2人部屋だったんですけど、
そこに監督が来まして。
佐藤アナ:
監督が部屋にいらしゃったんですか?
岩瀬:
はい。
「川上、お前は開幕無いからな」って言って、
その後「岩瀬、お前は抑えだ」って言って去って行ったんですよ。
佐藤アナ:
それだけ言って去ってたんですか部屋から(笑)
はぁ~!それで行末が決まりましたね。
岩瀬:
そうですね。
「抑えだ」と言われて…それまで先発したい気持ちもありましたけど、
やっぱり抑えとなると、それなりの覚悟を持ってやらないといけないので、
だからそこを任された以上「自分がしっかり守ってやるぞ!」っていう気持ちにはなりましたね。
佐藤アナ:
中継ぎと抑えの1番の違いは何ですか?
岩瀬:
そうですね。
“誰も助けてはくれない”ってところですね。
─この年、開幕戦の9回に登板しセーブを記録。その後のドラゴンズ黄金期を支えた守護神・岩瀬の初仕事となった。
落合博満さん「俺の8年は岩瀬を中心にできあがった。最高のストッパーですよ」
15年連続50試合以上登板の岩瀬仁紀さん、両腕に“後遺症”今も… 「代償は大きかったと思う。でも、僕らは一瞬一瞬にかけて投げていた」
誰も助けてくれない最後のマウンド。落合監督の言葉で守護神として生きていく覚悟を決めたようです。