■2020.05.06 中日スポーツ
野球少年の息子は小5で逝った…東京D近くのそば屋の店主 息子の幼馴染がプロ野球選手になって店に来た日
東京ドームから5分ほど歩いた場所に「六常庵(ろくじょうあん)」というそば屋がある。巨人コーチ時代の大西崇之さん(本紙評論家)に連れて行ってもらったのがきっかけで、遠征のたびに通うようになった。うまいそば屋と客。そんな関係が昨年から少し変わった。石橋、いや店主の柿野有さんにとっては、今でも「康太」。息子と幼なじみで「四街道ブルースターズ」の仲間だったと聞いたからだ。
「翔は僕の1学年下で、本当にかわいかった。僕のことを『康太くん、康太くん』と呼んでくれてたんです」。石橋が過去形で話すのには理由がある。2013年1月、いつものように野球の練習に行こうとした翔くんは、突然、意識を失った。救急搬送されたが12日後に息を引き取った。まだ小学5年生。仲間はユニホーム姿で葬儀に参列し、翔くんを見送った。
中学生になった石橋は、練習の帰り道にフラリと柿野家に寄っては仏壇に手を合わせた。プロ野球選手になった昨年末には初めて六常庵を訪れた。目を輝かせて野球の話をする「康太」を優しく見守ってきた柿野さんは今、歯を食いしばっている。
「6日までは休んでいます。連休前もそうしていましたが、連休明けも夜は店を開けずにランチ営業だけですね。信じられないくらい人が減っています。売り上げは8割は減っていますから」
…
「苦しんでいる人は世の中にたくさんいる。だから野球を頑張らなきゃなって思います。それに、今でも翔は僕を見てくれていると思ってます。練習がきつい時とかに芝生に寝転がって空を見ると、いつも翔の顔が浮かんでくるんです」
石橋は言った。野球が大好きな柿野さんが「今年は必ず」と話していたナゴヤドーム観戦計画も、どうやらお預けになりそうだ。だけど球音が響けば、水道橋の活気もきっと戻る。堂々と外食できる日が来たら、一緒にそばを食おう。それが僕と「康太」の約束だ。
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中日・石橋康太捕手「部屋での過ごし方で周りとの差を埋められる」
フォロワーさんの反応 / ネットの反応
悲しいなあ…
石頑張ってくれよ
どんなに辛いことがあっても亡き友人を思い出している事が充分伝わります
東京ドームで観戦するとき食べに行きます
石橋も性格が良くて、そばやを経営してるお父さんも暖かく石橋に接してきたからいまだに交流が続くんだよな。そうして、ドームの近くにあることもあり野球ファンが食べによるといういい循環が生まれる
「誰かのために」と思う心があるからこそ、自分を奮い立たせ良いパフォーマンスを発揮できる
痛みを知るからこそ、人に優しくなれるのではないでしょうか
石橋選手、頑張って下さい
石橋にこんなストーリーがあったとは驚いた
きっと知られてないだけで選手それぞれにいろんなドラマがあるんだよな
石橋くん頑張れ
君の活躍がみんなを元気にするよ
ずっと応援しとるでね
多くの方の想いを背負い、石橋康太捕手は野球を頑張り続けます。