■2026.07.18 CBCラジオ
『若狭敬一のスポ音』

…
若狭アナ:
選手、監督として日本代表になった井端弘和さんに、
トップ選手、強いチームになるために必要なことを聞いてみた。
「個の成長」「組織の強化」、
これらを実現させるためには、どんなことが必要なのか?
今週、火曜日、CBCテレビ「チャント!」生出演の前に井端さんに聞きました。
まず個の成長ですね。
みんなプロ野球選手として、
ドラフト、1位、2位、あるいは5位、6位であったとしても、
育成選手であったとしても、プロの世界にみんな入りました。
そこから才能のある選手が、そのまま才能を活かして花開かせる選手もいる一方で、
なかなか活かせず、引退という選手もいます。
「トップに上り詰めるためには何が必要なのか?」、
まずここを聞きました。
井端:
簡単に言うと「究極の負けず嫌い」ではないですかね。
「ほう、究極の負けず嫌い?」、
井端:
はい。
まず「味方の選手に負けない」と強く思うことだと思います。
レギュラーになりたいけど、
自分じゃない人がレギュラーで出ている。
じゃあ何をするか。
僕が入団したのはナゴヤ球場からちょうどナゴヤドームに変わったすぐの頃でした。
周りの選手を見ていて、
当時のドラゴンズには自分を犠牲にする選手、
繋ぎ役があまりいないなと思ったんです。
「よし、自分が勝負できるならそこだな」と。
だから、打席で粘ること、
フォアボールをもぎ取って塁に出ること、
右にゴロを打つことを徹底的にやりました。
でも、入団当初の僕は技術不足だったので、
当時の仁村兄弟、徹さんと薫さんにアドバイスを求めに行きました。
「レギュラーになりたい、どうするか?」、
周りにあまり俺の武器になりそうな可能性のあるものを武器としている選手がいないな。
よし、じゃあこれで勝負しよう。
でも技術不足だな。
ちょっとすみません、コーチ、教えてください。
もう全部、能動的に。
負けず嫌いが原点で、努力をしていった。
ということです。
ナゴヤドームが完成したのが1997年でした。
井端さんの入団は1998年でした。
1年目に1軍で18試合、2年目はまさかの0です。
もう2年間、ほぼ戦力じゃないんです。
この間にも徹底的に技術を磨いていたんですね。
3年目に92試合に出場しました。
そして、この3年目のシーズン後半、
かつてこのCBCラジオ、若狭敬一のスポ音でもお伝えしましたが、
井端さんは、「早くオフになってくれよ、練習がしたいんだよ」と思っていたんです。
なぜか?
1軍で何とかやれる。
でも、他球団のエースピッチャーの変化球への対応がまだ無理だと。
「早くそこを練習したい」と思いながらシーズン後半を戦っていたんです。
究極の負けず嫌い。
もうその矛先は、味方の選手ではなく、敵のエースへと変わっていました。
そして2001年、入団4年目、140試合。
2002年、入団5年目、135試合。
もうすっかりドラゴンズのショートのレギュラーになっていた井端さん。
6年目の2003年オフ。
翌年のアテネオリンピック出場をかけたアジア予選に、
日本代表として選ばれていました。
良いステップ踏んでますね。
最初の2年間、ほぼ戦力じゃない。
でも、この2年間で技術を磨いていて、
3年目、チャンスを与えられて、そこからしっかりレギュラーを掴んでいった。
もう、矛先は敵のピッチャー。
いつしか日本代表に選ばれていた。
もう我々も、2番ショート井端、というイメージがあったんですが、
日本代表で彼が起用されたのは、7番・DH。
この話、かつてスポ音でもしましたよね。
その話にもね、今週なったんですよ。
井端:
そうそう、僕は結局、ショートで日本代表で出ていないんですよ。
ドラゴンズでレギュラーを獲ってからは、
他球団のショートばかりを正直、見ていました。
ヤクルトの宮本さん、横浜の石井琢朗さん、良いお手本でした。
ライバルという意味では、年の近い巨人の二岡。
そして代表で西武の松井稼頭央がいました。
一緒にショートのポジションでノックを受けるんです、
宮本さんや松井稼頭央と。
ああ、もっと上手くなりたい。
あっ、なるほど、こういうグラブさばき、
こういう足の運び方、上手くならないと。
もっと、もっと上手くならないと、
ショートで日本代表では出られないと強く当時、思いました。
と。
そうです。
この話は、スポ音で紹介しました。
2003年オフ、日本代表は札幌ドームでアテネ出場を決めます。
当時、中日から日本代表に選ばれていたのは、
井端さん、福留さん、谷繁さん、岩瀬さん。
彼ら4人は、秋季キャンプは免除だったんです。
もう、そんな日本代表クラスの選手ですから、
もう秋季キャンプなんかいいですよ、
どうぞどうぞ、ということで、
井端さん、
井端:
みんな一旦、札幌から東京に飛行機で移動、
そして谷繁さんや福留はそのまま名古屋に帰りました。
でも、僕だけ沖縄に行ったんですよね。
なぜか?
いやぁ、まだ脳味噌に松井稼頭央や宮本さんのこの守備のグラブさばきとか、
足の運びがあったんですよね。
プレーの残像があるうちにノックを受けたかったんです。
と。
免除されている秋季キャンプ、日本一のショートになりたい井端弘和は、
わざわざ免除されているにもかかわらず、羽田から沖縄に飛んだんです。
ノックを受けたい、秋季キャンプでノックを受けたい、
ノックバットを持っていたのは、
中日の新しい監督になったばかりの落合博満という男でした。
そうです。
あの地獄の落合ノックが待っていたんです。
「井端さん、改めて落合ノックどうでした?」、
井端:
結局、1本も手を抜かなかったですよ。
それまではね、だいたい中日の特守の終わり時間って分かるので、
逆算して、途中で手を抜くんですよ。
「あぁ~!!!」とか言ってね。
「あぁ~!!!」とか言って打球を追わない。
で、1本休憩して、次のボール捕るみたいな。
と、
そういうね、ちょっと細かい手の抜き方まで教えてくれました(笑)
井端:
でも、それを、1本もやらなかった。
上手くゴロを捕れたとしても、
次はもう1歩前で、松井稼頭央ならもう1歩前で捕っていた。
それを思い出して、
1球1球必死でした。
究極の負けず嫌い、矛先はまず味方の選手に向かいました。
そこから敵のエース、そして代表メンバーへと変わっていったんです。
その矛先の変化に合わせて、考え方も変わる、
練習姿勢も変わる、発言もどんどん変わるんです。
気づけば、プロ野球の歴史に残る名ショートになっていたのが井端弘和という選手です。
このステップを踏んでいる選手が、今、日本代表にいるそうです。
井端:
いやぁ、僕は3年間、侍の監督をしましたが、
ずっと一緒だったのが阪神の森下なんですよね。
最初はとにかく「打ちます!僕の持ち味は振ることです!」みたいな発言だったんですが、
毎年、意識が変わっていって、
今年、会った時は「センターに長打を打つという意識で取り組んでいます」と話ししていました。
「あっ、そうか」と思いながら、フリーバッティングを見ていると、
一番、窮屈そうに練習しているんですよね、森下が。
どういうことかというと、センターにいついかなる時も長打。
センターに長打、センターに長打を。
気持ち良く、パッカーンって振って、
レフトスタンド、みたいな練習を全然していない。
まさに、1球1球手を抜かず、窮屈そうに練習をしていたのが森下でした。
3年間で物凄く変わった選手です。
サトテルも変わりました。
最初はね、発言もプレーも全体的に軽かったんですけど、
すっかり大人になりましたね。
個の成長、そこに大事なものは「究極の負けず嫌いであること」。
『若狭敬一のスポ音』

明日の「スポ音」コラムは「選手、監督として日本代表になった井端弘和さんにトップ選手、強いチームになるために必要なことを聞いてみた」と題して語ります。再び日本が世界一に輝くために必要なことも聞きました。お楽しみに!
— 若狭敬一のスポ音 (@cbcspoon1053) July 17, 2026
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若狭アナ:
選手、監督として日本代表になった井端弘和さんに、
トップ選手、強いチームになるために必要なことを聞いてみた。
「個の成長」「組織の強化」、
これらを実現させるためには、どんなことが必要なのか?
今週、火曜日、CBCテレビ「チャント!」生出演の前に井端さんに聞きました。
まず個の成長ですね。
みんなプロ野球選手として、
ドラフト、1位、2位、あるいは5位、6位であったとしても、
育成選手であったとしても、プロの世界にみんな入りました。
そこから才能のある選手が、そのまま才能を活かして花開かせる選手もいる一方で、
なかなか活かせず、引退という選手もいます。
「トップに上り詰めるためには何が必要なのか?」、
まずここを聞きました。
井端:
簡単に言うと「究極の負けず嫌い」ではないですかね。
「ほう、究極の負けず嫌い?」、
井端:
はい。
まず「味方の選手に負けない」と強く思うことだと思います。
レギュラーになりたいけど、
自分じゃない人がレギュラーで出ている。
じゃあ何をするか。
僕が入団したのはナゴヤ球場からちょうどナゴヤドームに変わったすぐの頃でした。
周りの選手を見ていて、
当時のドラゴンズには自分を犠牲にする選手、
繋ぎ役があまりいないなと思ったんです。
「よし、自分が勝負できるならそこだな」と。
だから、打席で粘ること、
フォアボールをもぎ取って塁に出ること、
右にゴロを打つことを徹底的にやりました。
でも、入団当初の僕は技術不足だったので、
当時の仁村兄弟、徹さんと薫さんにアドバイスを求めに行きました。
「レギュラーになりたい、どうするか?」、
周りにあまり俺の武器になりそうな可能性のあるものを武器としている選手がいないな。
よし、じゃあこれで勝負しよう。
でも技術不足だな。
ちょっとすみません、コーチ、教えてください。
もう全部、能動的に。
負けず嫌いが原点で、努力をしていった。
ということです。
ナゴヤドームが完成したのが1997年でした。
井端さんの入団は1998年でした。
1年目に1軍で18試合、2年目はまさかの0です。
もう2年間、ほぼ戦力じゃないんです。
この間にも徹底的に技術を磨いていたんですね。
3年目に92試合に出場しました。
そして、この3年目のシーズン後半、
かつてこのCBCラジオ、若狭敬一のスポ音でもお伝えしましたが、
井端さんは、「早くオフになってくれよ、練習がしたいんだよ」と思っていたんです。
なぜか?
1軍で何とかやれる。
でも、他球団のエースピッチャーの変化球への対応がまだ無理だと。
「早くそこを練習したい」と思いながらシーズン後半を戦っていたんです。
究極の負けず嫌い。
もうその矛先は、味方の選手ではなく、敵のエースへと変わっていました。
そして2001年、入団4年目、140試合。
2002年、入団5年目、135試合。
もうすっかりドラゴンズのショートのレギュラーになっていた井端さん。
6年目の2003年オフ。
翌年のアテネオリンピック出場をかけたアジア予選に、
日本代表として選ばれていました。
良いステップ踏んでますね。
最初の2年間、ほぼ戦力じゃない。
でも、この2年間で技術を磨いていて、
3年目、チャンスを与えられて、そこからしっかりレギュラーを掴んでいった。
もう、矛先は敵のピッチャー。
いつしか日本代表に選ばれていた。
もう我々も、2番ショート井端、というイメージがあったんですが、
日本代表で彼が起用されたのは、7番・DH。
この話、かつてスポ音でもしましたよね。
その話にもね、今週なったんですよ。
井端:
そうそう、僕は結局、ショートで日本代表で出ていないんですよ。
ドラゴンズでレギュラーを獲ってからは、
他球団のショートばかりを正直、見ていました。
ヤクルトの宮本さん、横浜の石井琢朗さん、良いお手本でした。
ライバルという意味では、年の近い巨人の二岡。
そして代表で西武の松井稼頭央がいました。
一緒にショートのポジションでノックを受けるんです、
宮本さんや松井稼頭央と。
ああ、もっと上手くなりたい。
あっ、なるほど、こういうグラブさばき、
こういう足の運び方、上手くならないと。
もっと、もっと上手くならないと、
ショートで日本代表では出られないと強く当時、思いました。
と。
そうです。
この話は、スポ音で紹介しました。
2003年オフ、日本代表は札幌ドームでアテネ出場を決めます。
当時、中日から日本代表に選ばれていたのは、
井端さん、福留さん、谷繁さん、岩瀬さん。
彼ら4人は、秋季キャンプは免除だったんです。
もう、そんな日本代表クラスの選手ですから、
もう秋季キャンプなんかいいですよ、
どうぞどうぞ、ということで、
井端さん、
井端:
みんな一旦、札幌から東京に飛行機で移動、
そして谷繁さんや福留はそのまま名古屋に帰りました。
でも、僕だけ沖縄に行ったんですよね。
なぜか?
いやぁ、まだ脳味噌に松井稼頭央や宮本さんのこの守備のグラブさばきとか、
足の運びがあったんですよね。
プレーの残像があるうちにノックを受けたかったんです。
と。
免除されている秋季キャンプ、日本一のショートになりたい井端弘和は、
わざわざ免除されているにもかかわらず、羽田から沖縄に飛んだんです。
ノックを受けたい、秋季キャンプでノックを受けたい、
ノックバットを持っていたのは、
中日の新しい監督になったばかりの落合博満という男でした。
そうです。
あの地獄の落合ノックが待っていたんです。
「井端さん、改めて落合ノックどうでした?」、
井端:
結局、1本も手を抜かなかったですよ。
それまではね、だいたい中日の特守の終わり時間って分かるので、
逆算して、途中で手を抜くんですよ。
「あぁ~!!!」とか言ってね。
「あぁ~!!!」とか言って打球を追わない。
で、1本休憩して、次のボール捕るみたいな。
と、
そういうね、ちょっと細かい手の抜き方まで教えてくれました(笑)
井端:
でも、それを、1本もやらなかった。
上手くゴロを捕れたとしても、
次はもう1歩前で、松井稼頭央ならもう1歩前で捕っていた。
それを思い出して、
1球1球必死でした。
究極の負けず嫌い、矛先はまず味方の選手に向かいました。
そこから敵のエース、そして代表メンバーへと変わっていったんです。
その矛先の変化に合わせて、考え方も変わる、
練習姿勢も変わる、発言もどんどん変わるんです。
気づけば、プロ野球の歴史に残る名ショートになっていたのが井端弘和という選手です。
このステップを踏んでいる選手が、今、日本代表にいるそうです。
井端:
いやぁ、僕は3年間、侍の監督をしましたが、
ずっと一緒だったのが阪神の森下なんですよね。
最初はとにかく「打ちます!僕の持ち味は振ることです!」みたいな発言だったんですが、
毎年、意識が変わっていって、
今年、会った時は「センターに長打を打つという意識で取り組んでいます」と話ししていました。
「あっ、そうか」と思いながら、フリーバッティングを見ていると、
一番、窮屈そうに練習しているんですよね、森下が。
どういうことかというと、センターにいついかなる時も長打。
センターに長打、センターに長打を。
気持ち良く、パッカーンって振って、
レフトスタンド、みたいな練習を全然していない。
まさに、1球1球手を抜かず、窮屈そうに練習をしていたのが森下でした。
3年間で物凄く変わった選手です。
サトテルも変わりました。
最初はね、発言もプレーも全体的に軽かったんですけど、
すっかり大人になりましたね。
個の成長、そこに大事なものは「究極の負けず嫌いであること」。
CBC・若狭敬一アナ「もう一度、日本が世界一になるために必要なことは?」 井端弘和さん「ピッチャーはストライクゾーン勝負。バッターは長打力」 若狭アナ「その可能性があるドラゴンズの選手は誰か?」 → 投打2人の名前を挙げる
井端弘和さん、日本が再び世界一になるために必要なことを語る
井端弘和さんが語ります。











