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元中日・武田一浩さん、FA宣言時はMLB球団からも「ある球団から話は来たんですけど、当時は…」

星野仙一
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■2025.12.11 Full-Count






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「引き留めてほしかった」最多勝右腕が“放置”された夏 感じた温度差…決断させた闘将の一言
元中日・武田一浩さん、FA宣言時はMLB球団からも「ある球団から話は来たんですけど、当時は…」

 真っ先に動いたのは明大の先輩である星野仙一監督が率いる中日。3年前にもトレードでの獲得に乗り出して成立直前までこぎ着けていた経緯もあり、星野監督からは「『いいから来い!』みたいな感じで誘われていました」という。「仙さんは先輩ですし、とてもFAの勧誘の営業じゃない感じの言われ方をしてました」。さらに巨人も争奪戦に参戦してきた。

メジャーリーグが触手も「なかなか踏み出せない状況」
 ただ、当時はFA権を行使する選手が現在ほど多くなく「FAって何のこっちゃという感覚。新聞でもあまり書かれていませんでしたし、自分の中ではあまりフリーエージェントとは感じてなかったです」と振り返る。「王さんのファンでしたし、ホークスも強くなってきていたし、給料も上がるし、普通に残留するつもりでした」。ところが、夏場まで残留に向けた下交渉の打診がなかったのである。

 「ホークスは動きがかなり遅かった。『出ていかないだろう』という感じだったと思います。引き留めてほしかったんですけど、王さんは『FAは選手が獲った権利だから』と尊重する人でした

 171センチと決して大きくない体で抑えと先発のタイトルを獲得した「小さな大投手」には、メジャーリーグも触手を伸ばしていたという。「ある球団から話は来たんですけど、当時は日本人投手の評価が高くなかった。日本の3分の1ぐらいの給料になって、インセンティブがつく感じで、なかなか踏み出せない状況でした」。MLBへの憧れは胸にしまい込み、中日移籍を決断した。「ホークスに残ろうと思っていたけど、星野仙一が許してくれなかったんです」。そう冗談っぽく語った後「星野さんにも恩がある。ドラゴンズに行くことにしました」と続けた。条件面では劣っていても、譲れないものがある。3年前も獲得に本腰を入れ、今回のFA交渉にも直接出馬した先輩と共闘する覚悟を決めたのだった。翌1999年は初めてセ・リーグでプレー。「気合入れて投げましたよ。精神的にも肉体的にも、その時が一番良かったんです」。開幕から先発陣の一角を担い、プロ12年目で初のリーグ優勝を味わった。1年前の決断が間違っていなかったことを、自らの右腕で証明してみせたのである。

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武田一浩さんが語りました。

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