■2025.01.20 中日スポーツ
「投手転向は転機でなく挫折」愛大4年の秋に岩瀬が悟った“天命” 届かなかったあと一本が殿堂入りへの第一歩に#中日ドラゴンズ #岩瀬仁紀#龍の背に乗ってhttps://t.co/3JKzcdFdZW
— 中日スポーツ (@chuspo) January 21, 2025
■2025.01.20 中日スポーツ
「投手転向は転機でなく挫折」愛大4年の秋に岩瀬が悟った“天命” 届かなかったあと一本が殿堂入りへの第一歩に
「二刀流なんて言葉はなかったけど、大学時代の僕は野手。自分が投手だなんて思ってなかった。外野手としてプロを目指していたし」
甲子園とは無縁の西尾東高から愛大に進み、得意の打撃が開花した。投手不足のチーム事情ゆえに投げてはいたが、明らかに軸足は野手にあった。4年秋のリーグ戦。大学ラストゲームで、本塁打を打った。通算124安打。あと1本でリーグ記録に並ぶ。9回1死満塁。ネクストバッターズサークルで「絶対に打つ自信があった」と回顧するが、目の前の打者が併殺で試合は終わった。ここが岐路だった。多くの人は社会人で打撃を磨き「あと1本」が打てる打者になろうとする。しかし、岩瀬は違った。
「打者としてプロに行くなら、これをやったっていう証しのようなものが欲しかった。それが記録だった。これをやれないようじゃ、プロでもできないな。そう思ったから、打者をあきらめて投手に専念することにしたんです」
力んで凡打したわけでも緊張してバットが振れなかったのでもない。打席が回ってこなかったことも天命と受け止め、その日を境に岩瀬は「投手」になった。
「野手の力量はわかったけど、投手としては未知だった。それを極めたらどうなるんだろうと思った。でも僕にとって投手になったことは転機ではない。屈辱であり、挫折。悔しさしかなかったんです」
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落合博満さん、レジェンド・岩瀬仁紀さんの野球殿堂入りについて言及する「あれだけの記録をつくったんであれば1年目で…」
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当時の出来事です。