■2024.12.18 中日スポーツ
“引退決断”からドラフト2位指名へ…中日・吉田聖弥が吹っ切れた「最後の1年」全ては応援してくれた人のために#中日 #吉田聖弥 https://t.co/9I7MS7JsFn
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■2024.12.19 中日スポーツ
1カ月で3500球超の投げ込み後…中日“ドラ2”吉田聖弥の人生が変わった23年9月18日 大ばくちの公式戦初登板#中日ドラゴンズ #ドラゴンズ #dragons#吉田聖弥https://t.co/rYmfvEemWh
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■2024.12.19 中日スポーツ
1カ月で3500球超の投げ込み後…中日“ドラ2”吉田聖弥の人生が変わった23年9月18日 大ばくちの公式戦初登板
取り組みが変わったことは周囲も認めていた。しかし、社会人野球の世界も結果が全て。2023年秋の日本選手権への出場を懸けた東海地区最終予選が始まっても吉田はベンチ外。来季の戦力として見極められる立場だった左腕の人生が変わったのは予選で2敗して後がなくなった9月18日のことだった。
「明日、いけるな?」。負ければ本大会出場への道が絶たれる東海地区第3代表決定トーナメント準決勝・ホンダ鈴鹿戦の前日、吉田は佐伯尚治監督(41)から先発を告げられた。先発どころか、登板自体が公式戦では初めて。選択肢はなかった。
腹をくくって上がったデビュー戦。初回から制球に苦しみ2死満塁。3ボール1ストライクと絶体絶命の場面で何とか後続を断った。最終的に2回途中で降板したが、点は与えず、チームも勝った。指揮官は翌日の第3代表決定戦・東海理化戦でも吉田を先発させた。左腕は2回途中で降板したが、チームは9回に3点差を追いつき、サヨナラ勝ちで本大会出場を決めた。
大ばくちを打った佐伯監督は「吉田の持つ可能性に懸けたということです。でも、吉田が可能性を示せなければ、肩をたたくつもりでした」と明かした。初登板で失点していたら、チームが負けていたら―。一つでも歯車が狂っていれば、吉田はユニホームを脱いでいたかもしれない。
野球人生を懸けたマウンドで踏ん張り、日本選手権の本大会でも先発を経験。ハイレベルな舞台は左腕の向上心をかき立てた。「もっと上の舞台を目指したい」とウエートトレーニングに加え、堀田投手コーチとの座学で投球術を学んだ。2カ月のノースロー期間も功を奏して、左肩の痛みも消えていた。4年目は主戦級の働きで都市対抗大会4強進出の原動力に。そして、ドラフトで竜と結ばれた。
「去年の7月から考えれば、今の状況は全く想像ができなかった。支えてもらった方々に感謝しています」。まだ見ぬ景色を見るために、左腕はプロの世界へとこぎ出していく。
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中日ドラフト2位・吉田聖弥、登場曲について「第一候補に入っています」と語るのが…
社会人時代に「完全に心が折れていた」という中日ドラフト2位・吉田聖弥を吹っ切れさせた言葉
吉田投手、飛躍のきっかけです。