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侍ジャパン・井端弘和監督の現役時代「彼(ディンゴ)が来なければクビだったかも」

井端弘和

■2023.11.19 中日スポーツ


■2023.11.19 中日スポーツ

“恩人”ディンゴと対決…侍J・井端監督の野球人生が変わった2000年「彼が来なければクビだったかも」
侍ジャパン・井端弘和監督の現役時代「彼(ディンゴ)が来なければクビだったかも」

 「彼のおかげで僕は試合に出られるようになったんです。彼がシドニー(五輪)に出たくて、ドラゴンズに来た。そして代走と守備固めが必要だってなって、僕が1軍に呼ばれた。それがなければ僕はあの年でクビになっていたかもしれない。だから恩人なんですよ

 大リーグで通算105発。球宴にも出場していたニルソンは、母国開催のシドニー五輪(2000年)への出場を熱望した。しかし大リーグは五輪への出場を認めておらず、日本行きを画策。条件が折り合った中日に、ディンゴの登録名で入団した。

 大砲だが鈍足。本職は捕手で外野守備もおぼつかない。だから井端は初めて開幕1軍に選ばれた。それにしても「クビ」だの「恩人」だのは大げさではないか…。そう思う人もいるだろうが、当時の井端は危機感に満ちていた。前年はリーグ優勝。ところが井端はついに1軍昇格することなく歓喜を傍観した。大卒2年目。戦力外がちらつくのも無理はない。

 ディンゴと過ごした00年に、埋もれかけていた井端の野球人生は変わった。大砲は日本の投手に対応できず、早々にポジションが空いた。自ら「あれが転機になった」と語るのは、5月2日の巨人戦(東京ドーム)だ。2年ぶりの先発出場で、中前への適時打と得意のバント安打を決めた。

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