■2020.05.24 スポーツ報知
【2009年5月24日】中日・河原純一が632日ぶり1軍マウンドでプロ初ホールド
◆セ・パ交流戦 中日1―0日本ハム(09年5月24日・ナゴヤドーム)
観客席のどよめきを今も鮮明に覚えている。わずか1点リードの8回。落合監督が告げたのは、2年近くもプロのマウンドから遠ざかっていた河原純一だった。ファンの驚いた反応と同様に、記者自身も、この采配には首をかしげざるをえなかった。
「緊張はあまりしませんでしたけど、最後までフワフワしている感じはありましたね。今後はもうちょっとしっかり投げられると思います」
こちらの予想とは裏腹に、河原は田中賢、森本を簡単に外野フライに打ち取った。稲葉には左翼線二塁打を浴びたものの、最後は小谷野をフォークで空振り三振。実に632日ぶりの1軍マウンドでプロ初となるホールドを挙げた。
02年には巨人の守護神として5勝3敗28セーブの成績を残し、日本一の胴上げ投手にも輝いた。だが、西武に移籍した05年からは持病の右膝痛に苦しめられ、07年オフに戦力外通告となった。
「自分自身が納得していないし、もう一度、現役にこだわりたいんです」
08年は母国・駒大で自主練習に励む浪人生活を強いられた。その年の10月31日、中日の入団テストにこぎつけたのだ。テストの場所は当時、投手陣がキャンプを張っていた知多半島にある阿久比町。片田舎の球場で見た河原は、失礼ながら見栄えはしなかった。当時のヘッド格だった森バッテリーチーフコーチの駒大の後輩だっただけに「また現場が勝手に補強してきただろう」と批判を口にするチーム関係者もいたほどだ。
個人的にも有効な補強には思えなかったが、不屈の右腕は年俸600万円からはい上がった。09年には44試合に登板し、3勝0敗15ホールドで防御率は1・85。浅尾、岩瀬と勝利の方程式を担うまでになった。伸び上がるような速球は鳴りを潜めたものの、内外角への制球は芸術の域に達していた。
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■中日・河原純一(個人成績)
2009年 44試合 3勝0敗 15ホールド 1.85
2010年 *4試合 0勝1敗 *2ホールド 4.91
2011年 30試合 1勝4敗 10ホールド 2.66
2009年 44試合 3勝0敗 15ホールド 1.85
2010年 *4試合 0勝1敗 *2ホールド 4.91
2011年 30試合 1勝4敗 10ホールド 2.66
中日・京田陽太が喜んだ長男の誕生日「最強の日に子どもが生まれました。凄くないですか」…?
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めちゃくちゃ覚えてる(^ω^)
最後に中日に拾ってもらって良い仕事が出来たよね
落合監督と森ピッチングコーチの使い方も上手かったと思う
中日時代の河原純一はノースリー投法のイメージが強い
数少ない野球浪人の成功者の1人
「顔で抑えられる投手」と落合監督は言っていましたね
河原投手をとったときは、何で?と思ったけど、その後の復活劇は皆さんご承知のとおり
飄々と打者を討ち取っていく姿は痛快でしたね
2002年原監督就任一年目に守護神を務めて優勝&日本一に貢献した男
数年後中日で復活して優勝に貢献するの普通にすごい
巨人の時に嫌らしく抑えてきた覚えがあったから竜に来てくれた時は頼もしかったわ
当時河原出てきたら割と安心して見れてたで
マウンドのポーカーフェイスがカッコ良かった
あの活躍覚えています
くさらずコツコツ頑張る、多くの人の励みになったと思います
“野球浪人”から這い上がって活躍する姿、カッコよかったですねぇ…!