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谷沢健一さん「ウォーリー(与那嶺要監督)はシーズン前に目黒の自宅に全員呼んでホームパーティーをやる。そうすると…」

ナゴヤ球場
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■2026.01.15 中日スポーツ







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【中日球団創立90周年】権藤博さん×谷沢健一さん レジェンド対談(下) 「厳しさ足りない」「負け慣れている」低迷する古巣へ”喝”
谷沢健一さん「ウォーリー(与那嶺要監督)はシーズン前に目黒の自宅に全員呼んでホームパーティーをやる。そうすると…」

 ―高木さんと谷沢さんが活躍したのが1974年の優勝だった
 谷沢「ウォーリー(与那嶺要監督)はシーズン前に目黒の自宅に全員呼んでホームパーティーをやる。そうすると、選手とコーチ、監督が一体化する。それがシーズン中に芽を出してきて。中日はまとまって何かしようというのが苦手なチームなんですよ。俺が俺がというのが強くて。あのときは一体感があった」

 ―優勝決定時はファンがグラウンドになだれこんできた
 谷沢「みこしまで出てきてね。ウォーリーの胴上げもできなかったんだよ。権藤さんは優勝パレードのとき、長嶋さんの引退試合(後楽園)に行ったの?」

 権藤「2軍のコーチだったから行ったよ。同じ日に優勝パレードを名古屋でやったから、2軍コーチが控え組の1軍にくっついていったんだよ。その試合で長嶋さんがカーンと打ったのが444本目のホームラン」

 谷沢「パレードはすごかったですよ。人出は何十万人だったかな」

 権藤「みんなファンと握手し過ぎて手が痛くなったと聞いたよ(笑)」

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権藤博さん「時代も違うんですよ。我々が投げてる時は、監督はみんな戦争帰りの人ばっかりなんですよ。弾をかいくぐって、帰ってきた人ばかりですから、投げて、次の日に『ちょっと、肘が痛い』と言ったら…」


権藤博さん「谷繁のリードが気持ち悪くなってきた。もうなんだか分からなくなってきた」 → それを聞いた谷繁元信さんは…


当時のことを明かしました。

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