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権藤博さん「谷沢に関しては忘れられないシーンがある。1979年の夏、5日間くらい浜松で2軍がキャンプをやった。俺が主審をした紅白戦に…」

権藤博
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■2026.01.15 中日スポーツ







■2026.01.15 中日スポーツ

【中日球団創立90周年】権藤博さん×谷沢健一さん レジェンド対談(下) 「厳しさ足りない」「負け慣れている」低迷する古巣へ”喝”
権藤博さん「谷沢に関しては忘れられないシーンがある。1979年の夏、5日間くらい浜松で2軍がキャンプをやった。俺が主審をした紅白戦に…」

 ―現役時代には2人とも大きなけがをしている
 権藤「谷沢に関しては忘れられないシーンがある。1979年の夏、5日間くらい浜松で2軍がキャンプをやった。俺が主審をした紅白戦に、リハビリ中の谷沢も参加した。インコースを見送るのかなと思ったら、パーンとバットが出てきて、ライトスタンドへ。軽く振っているのに、ものすごい打球だった」

 谷沢「あの年はアキレス腱の状態が悪化していた。全国の病院を20くらい駆けずり回った。最終的には酒マッサージの先生と巡り合って。僕は信じてそれに賭けた。そしたら、痛くて走れなかった足が、痛くても走れる足に変わった」

 権藤「紅白戦のあの打球から上がったんだよな。奇跡みたいだった」

 ―80年には打率3割6分9厘、27本塁打でカムバック賞を受賞した
 谷沢「プロに入ってから打撃自体が小さくなっていた。張本(勲)さんに競り勝って首位打者になった76年は、ヒットが176本で単打が128本。不本意でしたよ。大学、高校時代はもっと豪快な打撃をしていた。故障で休んでいた間に体がそれを思い出してくれたよね」

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権藤博さん「時代も違うんですよ。我々が投げてる時は、監督はみんな戦争帰りの人ばっかりなんですよ。弾をかいくぐって、帰ってきた人ばかりですから、投げて、次の日に『ちょっと、肘が痛い』と言ったら…」


権藤博さん「谷繁のリードが気持ち悪くなってきた。もうなんだか分からなくなってきた」 → それを聞いた谷繁元信さんは…


当時のことを明かしました。



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