今日の人気記事



「辞めるんならちょっと手伝ってくれよ」 森繁和さんが2004年シーズンから中日コーチに就任した経緯

落合博満
落合博満


■2025.11.12 スポーツナビ




■2025.11.12 スポーツナビ

落合ドラゴンズの名参謀・森繁和氏が明かす中日黄金期の幕開け 「10パーセントの底上げで優勝」の真意


「来年からちょっと名古屋に行くよ」
 2003年シーズンの終盤、ベイスターズで投手コーチをしていた私は横浜スタジアムでのデーゲームを終えて車で自宅に帰っている途中だった。ちょうど第三京浜から環八に入った辺りで携帯電話が鳴った。知らない番号だったが、出てみると落合(博満)さんだった。

「もう横浜終わりだろ? 辞めるんだろ?」

 そんなことを言われた。この年の横浜は4月からずっと最下位に低迷していたし、私を呼んでくれた森祇晶さんも前年途中で解任されていた。私も次のことを考えないといけないから、球団にも来季のことを早く決めて欲しいと話しているところだった。そんな情報をどこからか耳にして電話をしてきたのかもしれない。

「辞めるんならちょっと手伝ってくれよ」と言う落合さんに「どこかで監督をやるんですか?」と聞いたが、そのときは球団名までは教えてくれなかった。ちょうど何日か前のスポーツ新聞に中日の次期監督候補として落合さんの名前が出ていたなぁとか、古巣のロッテという可能性もあるかなと思ったりもしたが、落合さんに誘われるならやってみたいという気持ちがあったから球団は正直どこでも良かった。私は明確に返事こそしなかったが、このとき既にコーチの要請を受けることはほぼ決めていた。

 数日後にもう一度落合さんから電話があり「中日のこういう人間から電話がいくから話を聞いてほしい」と言われ、そこで初めて中日なのだと分かった。私は1978年のドラフト会議で四球団競合の末に西武に入団しているが、中日は私を1位指名してくれた球団の一つだった。あれから25年も経ってまさか中日のユニフォームを着ることになるとは思わなかった。

 ちなみに同じ年にロッテに3位で指名されている落合さんも私とはプロ入り同期ということになる。その後に決まるコーチ陣も、高代延博、高橋三千丈、石嶺和彦、少し遅れて入ってくる高柳秀樹もみんなドラフト同期。不思議な縁を感じたものだった。

 横浜のコーチ時代に敵として中日を2年間見てきて、面白いチームになってきているな、面白いピッチャーがいるなとは思っていた。だからコーチをするのも、落合さんと一緒にやるというのも楽しみだった。だからカミさんに相談することもなく「来年からちょっと名古屋に行くよ」と中日のコーチになることは事後報告だった。


記事全文を読む

森繁和さん、中日・落合英二2軍監督への“就任要請”は「合計4回も断られている(笑)」


森繁和さん、2006年の「落合さんがタオルで顔を覆うほどにワンワン泣いていた」場面について語る


就任時のことを明かしました。

にほんブログ村 野球ブログ 中日ドラゴンズへ
にほんブログ村

中日ドラゴンズランキング




▼この記事を共有する



★ほんわかレス推奨です! ※「殺」や「死」系の言葉がNGワードになっている場合があります。※識別用の末尾機能を追加しました(被っていても同一ユーザーとは限りません)。※一部回線でコメント投稿が行えない場合があります。※現在、モバイル回線などで一部機能が制限されています。※現在、ようやっとらんが極端に多いコメントを返信ツリーごと自動で非表示にするテストを行っています(ようやっとらん率が高すぎる投稿端末は規制がかかる場合があります)

コメント投稿フォームまで移動する

 コメントはまだありません。
※現在負荷軽減テストのためアバターが非表示になることがあります。※絵文字などは非表示となります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


※現在コメントシステムの関係でコメント機能が利用できません。巻き添え規制・大規模規制がかかっている場合があります。