
■2025.07.25 中日スポーツ
[ドラニュース]【中日・上林誠知 球宴独占手記】「戦力外になった時も、面白ぇじゃねえかって」胸に恩師の言葉、イチローさんの出身地で希望の復活劇を#ドラゴンズhttps://t.co/aPu750UKL8
— 中日スポーツ (@chuspo) July 24, 2025
■2025.07.25 中日スポーツ
【中日・上林誠知 球宴独占手記】「戦力外になった時も、面白ぇじゃねえかって」胸に恩師の言葉、イチローさんの出身地で希望の復活劇を
愛知は尊敬するイチローさんの出身地でもあります。中学の時、イチローさんの本を読んで、「プロ野球選手に『なりたい』じゃなくて、『なる』」ってなった憧れの人。昨年、イチローさんが通った「空港バッティング」(愛知県豊山町)にも行って、「本に出てきたとこじゃん」って感動しました。今でも、言動はイチローさんを意識しますし、背番号も51。本当に自分にとって大きな存在です。
そんな憧れのイチローさんには一度だけお会いしたことがあります。プロ3年目のオフの16年12月26日。埼玉の実家にいたら、イチローさんとつながりがある関係者がつないでくれて、「一緒に練習できる」と連絡が来たんです。もう朝一で、新幹線で、イチローさんが練習していた神戸に向かいました。東京ばな奈をお土産に買っていって、「つまらないものですけど…」と決まり文句を言ったら、イチローさんから、「つまらないものならいらないな」って返ってきて、「イチローさんっぽい!」と思いました。僕の存在も知っててくれて、うれしかった。
当時、イチローさんがマーリンズの時で、オレンジのグラブを使っていたのを自分もマネしてオレンジのグラブを作ったんです。それを見せると、親指のところにハリーホーク(ソフトバンクのマスコット)の刺しゅうが入れてあるのを見て、「それがダサい」と言われました(笑)。それ以降、キャラクターをあしらうのはやめましたね。打撃練習では、ホームランばかり打って、キャッチボールもいきなり強い球投げてくるんですよ。全然レベルが違った。1対1で、練習できた時間は宝物です。いつかまた、会いたい。いろいろ報告したいです。
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中日・上林誠知「塁に出たら初球から行こうと思ってました。脚の復活は見せられた」
上林選手が語りました。