
■2025.06.30 スポニチアネックス
谷繁元信氏「横浜を嫌いになって出たわけじゃない」 現役時代に封じ込めた思いを激白https://t.co/XB3RF9YbBQ
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■2025.06.30 スポニチアネックス
谷繁元信氏「横浜を嫌いになって出たわけじゃない」 現役時代に封じ込めた思いを激白
1988年ドラフト1位指名で大洋(のちの横浜、現DeNA)入りし、98年には不動の正捕手として横浜を38年ぶりセ・リーグ優勝と日本一にけん引した谷繁氏。基本的にミーティングなし、送りバントもしない、門限もあってないようなもの…という自由な雰囲気だった権藤博監督のもとで頂点に立ったが、2001年に真逆なタイプの森祇晶監督が就任した。「正直、今までの野球とは多分全然変わるだろうな」と覚悟しつつも「西武であれだけ優勝された監督。何か学ぶことがあったら」と当初は前向きに受け止めたという。
だが、1年間ともに戦ううちに「僕のなかでどうしても入ってこないものがいろいろあった」「残りの野球人生を考えた時にそこまで我慢してやることはしたくない」と決意。同年オフにFA宣言して中日に移籍した。中日でも正捕手として活躍し、14年からは選手兼任監督に。15年限りで現役を引退し、16年まで監督を務めた。選手として3021試合出場は現在もNPB歴代1位の金字塔だ。
そんな谷繁氏。実は中日での選手晩年、密かに思い描いていた夢があったという。「横浜を嫌いになって出たわけじゃない」。高卒新人から育ててくれ、38年ぶりの優勝、そして日本一という感動を分かち合った仲間やファンへの思いは残っていた。それだけに、中日で兼任監督を引き受けるにあたっては「苦しかったですね」。断りたい気持ちも「正直ありましたよ」と振り返る。選手としての準備と監督としての準備を同時進行しないといけない大変さはもちろんだが、「内心、自分の本当の気持ちとしては、やっぱり最後は…。帰れるんであれば、横浜で1年でもね、ユニホームを着て現役を終わりたいっていうかすかな…もあったんですよ」。しかし、兼任監督を引き受けるとなればその可能性は消える。「それをまずなくさないと受けれないことだったんで。自分のなかでなくしたっていう」。横浜のユニホームを着て現役生活に別れを告げるという夢はここで完全に封印。中日で現役を全うした。
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谷繁元信さん、中日・祖父江大輔にあの眼光は「疲れないか?」と聞いたら…
中日ドラフト3位・森駿太のプロ初ホームランを見た谷繁元信さんは…
谷繁元信さんが語りました。