
■2025.06.28 スポーツ報知
立浪和義さん、PL学園入学前に他校への進学決まっていた「『やっぱりPLで』って。超険悪なムードでした」https://t.co/CQeQibqcCy
— スポーツ報知 (@SportsHochi) June 28, 2025
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7月5日(土)17時〜
PL学園強すぎやねん⚾️
当時最強の #PL学園 OBと
“打倒PL”を掲げていた元高校球児が集結‼️#立浪和義 だけ特別待遇⁉
プロ入り後も続くPLの上下関係事情も😳
お楽しみに🕺
■2025.06.28 スポーツ報知
立浪和義さん、PL学園入学前に他校への進学決まっていた「『やっぱりPLで』って。超険悪なムードでした」
MCの浜田雅功に「立浪さんの時代がPLは最強でしたか?」と聞かれると「おこがましいんですけど、新チームになってから公式戦は約30連勝ぐらいですかね」とニッコリ。
当時のPLは18人しか入部できない“狭き門”だったことを明かし、「井元(俊秀)さんっていうスカウトの方がいまして、全国探して選りすぐったいい選手だけ18名がスカウトされるんですよ」と口に。「PLに憧れて勉強して入学して、でも野球部に入れなかった例がたくさんあるみたいで。当時、みんなPLに憧れていたので集めやすかったと思いますね」と続けた。
ここでPLの誘いを一度断ったことが明かされると「大商大堺という高校がありまして、中学の時のボーイズリーグの監督と、そこの監督が親しい関係で(入学が)決まってたんです。でも、当時、桑田(真澄)さん、清原(和博)さんがPLで活躍されてましたので、やはり夢が諦めきれないというところで1回決まったところを、わざわざ中学の時の監督の家まで行って『やっぱりPLでやりたいです』って。超険悪なムードでした」と振り返っていた。
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レジェンド・山本昌さん「立浪さん免許を取ってすぐにね、BMW買ったんですよ。私は、その数年後にBMW買った。(当時の星野仙一監督の)監督室に呼び出しをくらって…」
元中日監督・立浪和義さん、中日・星野仙一監督時代について明かす「(試合後)家に帰って監督の悪口や愚痴を言った時に、奥さんは…」
立浪和義さんが明かしました。