
球界唯一の“50歳現役”には「ラジコンが役立った」!? 中日レジェンド・山本昌が語った“40代でも大活躍”のワケ「ラジコンと知り合う前だったら…」(酒井俊作)#中日ドラゴンズ #山本昌 #NPB #プロ野球 #星野仙一 #落合博満 #NumberWeb https://t.co/Z43as3YPxW
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41歳“史上最年長ノーノー”達成はなぜ起きた? 中日レジェンド・山本昌が振り返る“奇跡の一夜”…コーチに直訴「一人でもランナーが出たら岩瀬に」(酒井俊作)#中日ドラゴンズ #山本昌 #NPB #プロ野球 #星野仙一 #落合博満 #NumberWeb https://t.co/2ZyT3sNFeQ
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“伝説のルーキー”近藤真一の快投で「もうクビだと思ったんです」中日レジェンド・山本昌が「島流しと一緒」失意の米国で手にした“まさかの武器”(酒井俊作)#中日ドラゴンズ #山本昌 #NPB #プロ野球 #星野仙一 #落合博満 #NumberWeb https://t.co/uhsDDpEH0H
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「不用意に左手を突っ込むな!」星野仙一が激怒のワケは? 中日レジェンド・山本昌が語る“恩師の素顔”…鉄拳も「全然、嫌だと思いませんでした」(酒井俊作)#中日ドラゴンズ #山本昌 #NPB #プロ野球 #星野仙一 #落合博満 #NumberWeb https://t.co/hxgUQi4qRx
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落合博満に「ここまで来たら50歳までやれ」と…「100万回やり直してもない」“奇跡の野球人生” レジェンド・山本昌が語る「令和のドラゴンズ」(酒井俊作)#中日ドラゴンズ #山本昌 #NPB #プロ野球 #星野仙一 #落合博満 #NumberWeb https://t.co/tDCmucEbug
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■2025.06.20 Number Web
「不用意に左手を突っ込むな!」星野仙一が激怒のワケは? 中日レジェンド・山本昌が語る“恩師の素顔”…鉄拳も「全然、嫌だと思いませんでした」
星野の思いを別の形でも受け取っていた。無敵のスクリューを覚えて急きょアメリカから帰国した88年、シーズン初マウンドの救援登板でプロ初勝利をマークした。すると人生で初めて監督賞をもらった。中身を見たら、34万円が入っていた。背番号と同じ金額だった。
「リリーフの2イニングを投げただけなのに34万円なんて、賞金額では破格も破格なんです。ただ、お前、頑張ったな。プロ初勝利、おめでとうと。粋な計らいでした」
星野の厳しさは決して一時の感情に突き動かされたものではなかった。88年に5勝した山本昌は89年も9勝を挙げながら、シーズン終盤になかなか勝てず、「2桁勝利の壁」にぶち当たった。黒星が重なり、最終登板を前に星野に言われた。
「お前、負けたらもう1回、アメリカに行ってこい」
結局、大台には届かず、星野から命じられたとおり、秋に再び渡米した。
「お前にはカーブが足りない」
そこではやはり生原が待っていた。
「お前にはカーブが足りない。カーブをもう1回、ずっと練習しよう」
それは着実にローテーション投手としての地歩を固めていた山本昌が投球の幅を広げるためのアドバイスだった。すでに右打者から逃げて落ちるスクリューが威力を発揮していた。一方のカーブは右打者に向かって入ってくる。しかも球速が遅い利点もある。つまり、カーブはスクリューと一対の変化球となるため、習得できれば打者にとっては的を絞りづらく厄介この上ない。
生原はさらに言った。
「このカーブを覚えるのに3年かかるよ」
それを聞いた山本昌は内心、毒づいていた。
いまから3年かかるカーブを覚えてどうするんだ――。だが、目の前の生原は連日、ブルペンでワンバウンドするカーブを捕りつづける。マスクをつけるだけでレガースもプロテクターもつけない。やがて、その体はアザだらけになっていった。それでも、こんな声が飛んでくるのだ。
「体に当ててもいいから来い!」
連日100球のカーブを投げた意味を、山本昌が知ることになるのは数年後である。
「モノになったのは93年で、最多勝と防御率のタイトルを取れたシーズンでした。僕は直接、ふたりに(アメリカでの練習の意図を)聞いたことはありませんが、星野さんとアイクさんの間で、いろいろ話をしていたのだと思います」
ともに鬼籍に入ったいま、確かめようがないが、きっと星野が生原にカーブ習得の課題を伝えたのだろう。生原が他界した翌93年に17勝を挙げると、94年には自己最多の19勝。沢村賞にも輝いた。
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レジェンド・山本昌さん、中日・星野仙一監督時代について語る ヘッドコーチから「マサ、ちょっとベンチ裏行ってくれ」と声を掛けられ覚悟を決めて行くと…
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山本昌さんが振り返りました。