
■2025.04.18 中日スポーツ
亡くなって10年…「“今中クラス”の投手が台湾にいる」大豊とチェンの物語 日米8球団による大争奪戦の裏側https://t.co/Gb6JIeAOoN#チェン #中日ドラゴンズ #大豊
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亡くなって10年…「“今中クラス”の投手が台湾にいる」大豊とチェンの物語 日米8球団による大争奪戦の裏側#チェン・ウェイン https://t.co/Gb6JIeAOoN
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■2025.04.18 中日スポーツ
亡くなって10年…「“今中クラス”の投手が台湾にいる」大豊とチェンの物語 日米8球団による大争奪戦の裏側
大豊から「台湾におもしろい投手がいるんです」と相談されたのは、2003年の春か夏。それがチェンでした。当時の私はスカウト部長で、大豊はアジア担当。本来なら渉外部門に所属するはずですが、なぜか「スカウト部付き」として私の直属の部下でした。
「そんなにいいなら、一度現地で見ておいでよ」。軽い気持ちで出張を許可したら、今度は「今中クラスです」と興奮気味に報告してきました。今中慎二と大豊はドラフト同期。新人時代の実力も知っています。半信半疑でしたが、私から球団に報告を上げました。
ところが上層部の反応は芳しくありませんでした。理由は察しがつきました。まだ高校生。台湾だと兵役の問題もあります。育成選手制度もまだなく、外国人とはすなわち助っ人でしたから、限られた枠を使うだけの可能性が本当にあるのかということです。
しかし大豊はあきらめませんでした。猪突(ちょとつ)猛進、融通がきかない頑固者…。彼をそう見る人もいましたが、私とは不思議とウマが合いました。仕事には絶対手を抜かず、少しでも気になるところがあれば必ず確認する。報告書は毛筆で手書き。実直でいちず。石橋をたたいて、たたいて、確かめてから渡る男でした。
局面が大きく動いたのは、11月でした。アテネ五輪のアジア予選に、補欠メンバーとしてチェンも来日。札幌ドームでの練習を私と大豊は極秘で視察しました。私がチェンを見たのはその時が初めて。その投球を見た瞬間、高校時代の今中と同じ衝撃が走りました。大リーグ6球団にダイエーを含めた大争奪戦。球団の反応が鈍かったのに獲得することができたのは、大豊の功績です。そもそも札幌での極秘視察が許されたのも、大豊の存在があればこそ。なお慎重な上層部を説き伏せるのが、私の仕事でした。
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