
■2025.03.19 CBCテレビ
「立浪監督の理想が高すぎたのかな」竜の球団トップが語る低迷の理由と今季展望
生粋のドラゴンズファン人生
吉川克也さんは、愛知県名古屋市中村区生まれの68歳。自宅は中日スタヂアム(現・ナゴヤ球場)に近く、父親に球場に連れて行かれたことをきっかけに、ドラゴンズファンとしての道を歩むことになった。
思い出の試合は、1974年(昭和49年)に讀賣ジャイアンツの10連覇を阻止して、ドラゴンズが20年ぶりのリーグ優勝を決めたダブルヘッダーである。エース星野仙一が投げて、サードの島谷金二がライナーを取って歓喜の時が訪れた瞬間を懐かしむ。あの優勝ほど嬉しいものはないと思い出す感動の秋だった。
「あの王(貞治)や長嶋(茂雄)がいた巨人に勝ったんですよ。すごいことだった」
胴上げを見るため仕事も休んだ
中日新聞社に入社した後も、ドラゴンズへの愛はますます燃えさかる。広告担当だった若き時代、“野武士野球”と呼ばれた近藤貞雄監督に率いられたドラゴンズがリーグ優勝した1982年(昭和57年)の最終戦は、会社を休んで横浜スタジアムに駆けつけた。胴上げを見まもり、深夜に車を飛ばして名古屋に戻った吉川さんを待っていたのは、上司による叱責だった。球団の親会社であっても、そこの一線は厳しかったようだ。
「横浜に行っていました、と説明したけれど、残念ながら勘弁してもらえませんでした」
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中日・吉川克也球団社長「(球団創設)100年を見据えて、今回は即戦力だけでなく、将来性のある高校生をとってほしいと言った。この8人が100年に向けて、チームを強くしてくれると思っている」
中日・吉川克也球団社長「沢山の良い選手がいながら、巨人の球団社長に言われた、『なぜ、この位置なの?』と」
吉川球団社長が明かしました。