
■2025.03.11 RadiChubu-ラジチューブ-
想像と違った!中日OB・川上憲伸、打者イチローを語る
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イチローに感無量
川上「ピッチャーから野手に転向した苦労人で、4割近い打率とピッチャーの肩を活かしたレーザービーム。アメリカへ行ったら日本人として初めての首位打者ですよ」
まずはイチローさんへの思い。川上さんが一番印象に残っているのが2001年、イチローさんがオールスターゲームに初出場、ランディ・ジョンソンと対決した瞬間だそうです。
川上「ここまで来たかと、うわーって感動しましたよ」
この時のイチローさんの結果は初ヒット、初盗塁を決めました。川上さんにとっては、ここがイチローさんに一番感動した部分。
それ以降のイチローさんの記録などは、イチローさんなら成し遂げて当たり前に思えたんだとか。
雑誌で知る
川上「一番僕の中で印象があるのが、僕の2つ上で、僕が高校2年目の時に、『輝け甲子園の星』という雑誌の表紙がイチローさんだったんですよ」
川上憲伸少年が最初にイチローという野球選手を認識したのが雑誌でした。
川上さんはイチローさんの2つ下。1992年の『輝け甲子園の星』の7+8月号の特集は「甲子園ヒーローたちの新世界」と題して前年ドラフトでプロ入りした甲子園ヒーローたちが載っていました。
表紙は12人のプロ入りした選手たちの顔写真が4×4で並べられ、イチローさんは右上の角。記事の中にもまるまる1ページ、イチローさんのオリックス・ブルーウェーブのユニフォーム姿の写真も載っています。
川上「その時のイチローさんは、まだほぼピッチャーなんですよね。ひょっとしたらイチローになってない感じ」
愛工大名電時代、イチローさんは投手でした。オリックスへ入団直後の登録名はまだ鈴木一朗でした。イチローになったのは1994年からです。
神宮外苑が騒然
川上さんは明治大学時代に、イチローという名前がどんどん有名になっていくのを間近で感じていたそうです。
1995年の日本シリーズは、東京ヤクルトスワローズ対オリックス。神宮球場での日程が、東京六大学野球の秋季リーグとちょうど重なっていたそうです。
例えば、昼間に明治大学対早稲田大学の試合が終わると、ナイターの日本シリーズを待っているファンで神宮外苑が大変な状態だったんだとか。
川上「オリックスって、もちろん4番バッター、クリーンナップもすごいし、投手陣もいいんだろうけど、イチロー対ヤクルトというイメージでしたよ」
当時のイチローさんの注目度を振り返る川上さん。
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川上憲伸さんが振り返りました。