■2025.01.30 webスポルティーバ
「先発したいな、というのはずっと思っていました」
— 集英社スポルティーバ (@webSportiva) January 30, 2025
岩瀬仁紀、プロ人生唯一の先発マウンドはコーチに直訴 !https://t.co/49uWblUwqL
■2025.01.30 webスポルティーバ
岩瀬仁紀はプロ人生唯一の先発マウンドに上がり、10勝目を挙げた「先発させてもらえないですか」とコーチに直訴
【大学時代は投打二刀流】
「もともと大学にはピッチャーで入ったつもりではいたんですけど、監督のほうから『野手なら1年生から使ってやる』って言われて。じゃあ……と思って。試合に出たいんで(笑)。『外野やります』というところから始まったんですね」
愛知・西尾東高ではエースだった岩瀬だが、卒業後、愛知大学リーグの愛知大に進学すると、1年春から外野手としてレギュラーで出場。左の強打者として活躍し、ベストナインに4度も選出されるまでになる。それでも3年生の秋、自ら登板を志願したという。
「ちょうどチームに主力ピッチャーがいなくなった時だったので、じゃあ自分がやってもいいんじゃないかな、っていうぐらいの気持ちで監督に言ったんです。そしたら『やってみろ』って言われて。で、日曜日だけでしたね、第2戦がある日曜日に投げるようになりました」
ただ、転向ではなく投打二刀流。4年時にプロを意識したのも、外野手としてのこと。実際、神野純一(愛工大→中日)が持つ愛知大学リーグの通算安打記録=125安打に迫るほど打力は高かった。だが最終的に124安打に終わったことで”打”をあきらめた岩瀬は、投手として社会人入りを目指し、97年、NTT東海に入社する。
「社会人では1年目、ケガだらけでほとんどゲームで投げられなかったんです。肩を痛めたり、腰をやったり。ただ運よく、というかね、投げられないなかで走ってばっかりで、練習量も違ったので体力がついて……2年目に一気に開花しました」
「開花」の背景に、チームのコーチから伝授された高速スライダーの習得があった。そして98年春、 岩瀬は地方大会で好投を続け、特に強打のチーム相手の完封、完投が光り、一躍、その名が全国区になる。夏の都市対抗には新日鉄名古屋の補強選手として出場。1回戦の東芝府中戦に先発し、5回3失点で敗戦投手となったものの、プロからの高い評価に変わりはなかった。
「春の大会で一気にスカウト陣が集まってきて、『ドラフト間違いない』みたいになって、そこからですよ、実際にプロを意識したのは。ただ、都市対抗の時はちょっと背中を痛めて、まともなピッチングができないまま終わったので、『プロ行って大丈夫かな……』って不安になりましたけどね」
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岩瀬仁紀さんが明かしました。