■2025.01.03 中日スポーツ
〔ちょい見せトーチュウ1/3〕4面
— 東京中日スポーツ (@tochu_sports) January 2, 2025
新春連載「井上一樹物語 一徹」がスタート。
新指揮官の人生の転機を4回連載で振り返ります。#井上一樹監督 #鹿児島商 #井筒部屋
電子版はこちら↓ https://t.co/xCAV8DoOW9
Web購入↓ https://t.co/LHAA3LRpVa pic.twitter.com/XDy1nnl7Uv
■2025.01.03 中日スポーツ
「力士になる」から野球の道へ…中日・井上監督が中3で迎えた人生最初の転機 躍動する享栄・近藤と鹿児島商旋風
井上の人生最初の転機は1986年。中学3年の夏休みに上京し、大相撲の井筒部屋を訪れた。当時は現役力士だった逆鉾と寺尾ははとこにあたり、ごちそうに東京見物にと歓待された。
ただの旅行ではなく、角界入りを前提とした部屋見学。「もともと、そうなるものだと思っていた」。井上の気持ちも固まった。「力士になる」。父にも学校の教師にも一度はそう伝えた。しかし、腹の底でくすぶっていた野球への未練に火が付いたのは、帰郷した後に何げなくつけたテレビに映っていた左投手だった。
「野球もしたい。そう思っていたところに夏の甲子園。画面には享栄の近藤真市ですよ。三振取ったら打者をにらみつけて、ものすごくかっこよく見えた。あぁ、こんな投手になりたいってね」
角界入りで決まっていた進路は土俵の中央に戻っていた。マゲか。はたまた、丸刈りか。迷った末に高校野球が相撲を寄り切ったのは、9月のことだった。近藤が躍動した夏の甲子園で鹿児島商を4強に導いた塩瀬重輝が、井上をスカウトに学校までやってきたのだ。
「桜島打線って呼ばれて、そりゃ大変なフィーバーでした。僕もかじりついて見ていたし。その監督さんが直々に来たんだから」
近藤が投げていなかったら。甲子園で鹿児島商が旋風を起こしていなかったら。塩瀬に説得されていなかったら…。今ごろは監督ではなく、親方になっていたかもしれない。
記事全文を読む
Q.今季のキーマンは? → 中日・井上一樹監督「今ね、石川昂弥とか細川って言うと思ったんでしょ。本当にそこも期待はしていますけども、僕の中でのキーマンは…」
中日・井上一樹監督、高橋周平の今後について言及する「僕の仕事とすれば、高橋周平を…」
当時の出来事です。