■2024.12.27 中日スポーツ
先輩右腕がいなかったら…ボクサーになっていた!?今季プロ初勝利をつかんだ中日・松木平優太、最終形態は師匠の投球術#ドラゴンズ#松木平優太https://t.co/pIUCCI6tDX
— 中日スポーツ (@chuspo) December 26, 2024
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■2024.12.27 中日スポーツ
先輩右腕がいなかったら…ボクサーになっていた!?今季プロ初勝利をつかんだ中日・松木平優太、最終形態は師匠の投球術
今季は開幕から2軍でローテーションを守り続けた。1軍は7月9日から8連戦。誰かが昇格する―。ここでようやくの支配下契約。登板のチャンスは2軍調整を続けていた柳ではなく、松木平に与えられたのだった。
後輩の投球は欠かさずにチェックしていた。プロ初登板となった7月10日のDeNA戦(横浜)は7イニングを100球で3失点。「ゾーンに投げ込んで、打者も差し込まれている。でもまだ怖さを知らない」。そう語る柳のまなざしはまるで親のよう。そして8月21日。再び横浜で先発したものの、今度は4イニング6失点と乱調。登板後、松木平は涙を流した。
きらきらと輝く舞台で待っていたのは、想像以上のプレッシャーと孤独感。「一球の怖さ。投げミスを簡単にはじかれました。柳さんから言われていたことが、ようやく身に染みて分かった気がしたんです」
松木平が1軍で経験を積んでいく中、柳はナゴヤ球場で1日100球以上の投げ込みを続けていた。結果が全ての世界だからこそ、はい上がるしかないと知っている。「1回下に落ちたらきつい。絶対にしがみつかないといけない」。開幕直前、柳が口にしていた言葉は記者の頭にずっと残っている。
開幕投手を務めた柳にとっては「振り返るのが難しいほど何もできなかった」、最終戦の先発マウンドに立った松木平にとっては「支配下を勝ち取って経験を積めた」という一年。一流投手の投球を目の当たりにしてきた松木平にシーズン後、理想の投手像を聞いた。「う~ん」と数秒考えた後、ニコッと笑った。
「やっぱり柳さんですね。キレの良い真っすぐと変化球を突き詰めたい。最終形態は柳さん。師匠! そこを超えたい一心です」。師弟の奮闘は続く。
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中日・山井大介コーチ「俺の番号やな」 松木平優太「違います。僕の番号です」
Q.“柳塾”のメリットは? → 中日・松木平優太が明かす
松木平投手の師匠です。