■2024.12.22 中日スポーツ
甲子園初観戦で見た北照高に野球留学…中日のドラフト5位・高橋幸佑 自らをプロへと導いた“小6の夏の直感”#中日ドラゴンズ #ドラゴンズ #dragons#高橋幸佑https://t.co/IEZfk7oBGU
— 中日スポーツ (@chuspo) December 22, 2024
■2024.12.22 中日スポーツ
甲子園初観戦で見た北照高に野球留学…中日のドラフト5位・高橋幸佑 自らをプロへと導いた“小6の夏の直感”
慣れない寮生活に軟式からの転向、練習量の多さ。「本当に苦しかったです」。成長していく仲間と反比例するように痩せ、当初は80キロだった体重が60キロ前半まで落ちた。「練習を見学に切り替えたり、食事量をコントロールした。入部体験から投げ方はきれいでしたから」と上林弘樹監督。本人も同級生らに励まされながら、めげなかった。素材は一級品だからこそ、とにかく食べる。体重が戻ると、2年生から実戦で投げ始め、秋には140キロを超えた。プロ野球選手になると公言するようになった。
入部当初の苦労を両親が知ったのは今年、注目選手になってからのネット記事だった。弱音を吐かずに成長したが、一度だけ“SOS”があった。主戦投手として期待された2年秋の全道大会1回戦。センバツ出場がかかった試合で旭川実に逆転サヨナラ打を献上した。大舞台への夢が消え、両親にラインで「(北海道に)来ない?」。すぐに駆けつけ、祖父母の家でゆっくりした。「自分のせいでセンバツ切符を逃した。笑顔はなかったです」と父・代吉さん(54)。この時、闘志に火が付いた。
「このままではプロで通用しないと感じたと思う。あの時から変わった。授業の成績も良くなりました」と上林監督。2年冬からのトレーニングで体重は約7キロ増。今春にはU―18日本代表候補の強化合宿に選抜され、刺激を受けた。最後の夏大会は準決勝で敗れたが、やり切った達成感もあった。引退翌日からも後輩たちに交じって、毎日練習。心技体で成長を遂げ、最速149キロ左腕として運命の日を迎えた。
モットーは「いつでも明るく笑顔」。苦しさを乗り越え、悔しさを力に変えた左腕は次の舞台へ進む。「チーム優勝に導ける投手になりたい。みんなを明るくできればいいと思います」。竜の投手陣に仲間入りし、高橋スマイルをひときわ輝かせる。
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中日ドラフト5位・高橋幸佑からあいさつを受けて「聞かれたら何でも答えます」と語っていた中日選手が…
Q.チーム内にそれぞれ苗字と名前の読みが同じ選手がいるが、他の選手と被らないあだ名は? → 中日ドラフト5位・高橋幸佑「たかはしをとって“たかし”とか…」
高橋幸佑投手、プロ入りに繋がった経緯です。