■2024.11.29 中日スポーツ
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■2024.11.29 中日スポーツ
伝説の大豊作ドラフトで中日2位… 井上一樹に名スカウトが見た“器の大きさ” あの両極端な監督とも適度な距離感
1989年は野茂英雄に8球団が競合。外れ1位で佐々木主浩、元木大介、2位で古田敦也と史上まれに見る大豊作のドラフトでした。中日は与田剛を一本釣り。即戦力を確保できたことで、2位は将来性を重視する方針でした。
九州地区担当の法元英明スカウトが強く推したのが、鹿児島商の井上。当時の私は関西地区担当で、獲得や指名には携わっていないのですが、法元さんが投打ともに、いや本音では打者として魅力を感じていたことは覚えています。あの年は前田智徳(熊本工、広島4位)、新庄剛志(福岡・西日本短大付、阪神5位)と九州三羽がらすともいうべき逸材がそろっていましたが、大型の左投手でもあり、一番早い指名になったのだと思います。
当時は二刀流という概念もなく、まずは投手として育成を始めました。1軍でも登板(9試合)しましたが、未勝利のまま5年目に打者へ転向。練習を見て、その能力の高さに驚いたことを覚えています。バットとボールがひっついているように見える。そこから軸回転で打球を運べる。これはもう天賦の才。年齢でいえば大卒ルーキーでしたが、アマ球界にいれば確実に1位候補だったことでしょう。その打撃能力の高さに、私はいつも「天才」と声をかけていました。
本人は「?」という顔をしていましたが、私はおだてたかったのではなく、スカウトとしての本心で言っていたのです。一度は首位打者を取ってほしかった。今でもそう思います。
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中日・井上一樹監督が「目の色が違ったので、来年10勝してくれると思います」と期待する中日投手
中日・井上一樹監督、楽天退団の田中将大の獲得の可能性について問われると…「いやいや、『よし、取る』っていうようなこともないし、かといって(獲得が)『ない、ない、ない』っていうこともない」
当時のことを明かしました。