
■2024.11.30 中京テレビNEWS
中日ドラゴンズ2位指名・吉田聖弥投手、ドラフトで流した涙の意味とは…?期待の社会人No.1サウスポー、武器は「止まって見える」“生意気”なチェンジアップ
チームメートたち曰く、「涙もろい」という吉田投手。「子供っぽいです。子供っぽいしすぐ泣くし」、「けがしたら泣く、 打たれたら泣く、負けたら泣く」、「いっつも泣いてる」、「泣いてしかいない」と、涙もろい一面を感じたエピソードを笑顔で明かしました。
ドラフトで流した涙、吉田投手が野球をする理由
ドラフト会議でも、吉田投手の“涙もろさ”が垣間見えた場面がありました。
ドラフト指名後に行われた会見で、「社会人生活を振り返ってみていかがでしたか?」という質問に対して、「そうですね、本当に・・・。簡単ですけど、本当に苦しかったっていう4年間だった」と、涙を浮かべた吉田投手。
この涙にはどんな想いが隠されていたのでしょうか?
佐賀県出身の吉田投手。小学3年生の頃に野球を始めると、地元の高校を卒業し、『西濃運輸』に入社。レベルアップを求め、肉体強化に取り組み、入社時に60㎏だった体重は80㎏まで増加。球速も138㎞から149㎞と、10㎞以上アップしました。
しかし、社会人での4年間を振り返ると、「“苦しい”につきますかね」と答えた吉田投手。社会人での4年間は苦悩の連続でした。
2年目に左肩を負傷。そこから立て続けにけがに見舞われ、約1年間、投げられない日々が続いたのです。「本当にその間は苦しくて、野球をやめたいなって思いではありましたね」と、当時の心境を明かします。
”野球引退”
去年、本気でそう考えていたといいます。そんな吉田投手を変えたのは堀田晃コーチからかけられた、ある言葉でした。
吉田投手:
「『誰のために野球をやっているんだ』って言われて・・・」
堀田コーチが吉田投手に投げかけた、この言葉の真意とは?
堀田コーチは、「吉田がやめますって言ってくるだろうと感じていたので。“最後の1年”ともし決めるのであれば、自分のためじゃなくて、今までお世話になった方々とかご両親のためにもう一回やってみなさいと。野球でどうこうというよりは、人として。彼(吉田投手)も優しいので、どこか響いてほしいなという思いがあったので」と話します。
「自分の脳裏にいろんな人の顔が浮かんできて、すごく涙があふれた」と、堀田コーチの言葉に涙した吉田投手。「堀田さんがいなかったらいまの自分はないですね」と感謝を述べました。
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吉田投手が思いを明かしました。