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合同自主トレに参加したルーキーイヤーの近藤真一さんを待ち受けていたのが…

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■2024.09.03 週刊ベースボールONLINE


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【プロ1年目物語】プロ初登板ノーヒットノーランの快挙も3年目以降は1勝もできず…悲運のサウスポー近藤真一
合同自主トレに参加したルーキーイヤーの近藤真一さんを待ち受けていたのが…

 近藤真一は、星野にとっても特別な思い入れのある投手だった。前年オフに39歳で新監督に就任した星野は、直球とカーブだけで三振の山を築く享栄高のアマ球界No.1サウスポーに惚れ込み、「近藤は絶対に逃すな!」と厳命。近藤も星野と同じく幼少時に父親を亡くし、母の手ひとつで育てられた共通点もあった。複数球団の争奪戦が予想されたが、中日のスカウトは抽選の勝利を願い神社に祈願に出かけたという。迎えた1986年ドラフト会議、星野は5球団競合の末に自ら当たりクジを摑みとる。いわば、監督としての初仕事が近藤を引き当てることだったのだ。そして、それは工藤公康や槙原寛己といった地元の逸材投手を他球団にさらわれ続けていた中日球団にとっても、ようやく手に入れた“愛知の星”でもあった。中日入りを熱望する近藤と、その想いに応えた青年監督の星野。この1カ月後には、ロッテとの1対4の大型トレードを成立させ、三冠王の落合博満も獲得してみせた。いわば星野中日の船出は、近藤と落合の入団から始まったのである。

 だが、1987年の1月、合同自主トレに参加した近藤を待ち受けていたのは、減量指令だった。地元の祝福ムードの中で満足な練習もせずに数カ月を過ごしたため、10kg近くもベストの体重を超えていたのだ。それからは春季キャンプでも走り込みメニュー中心の日々。身長183cmの大型左腕は、上体の力に頼ったフォームが故障の危険性も度々指摘され、中日も金の卵をまずは焦らずじっくり育てるスタンスだった。

 3月12日には、地元でのロッテ相手のオープン戦に顔見せ的に先発して2イニングを投げることもあったが、開幕は二軍スタート。4月中に岡山県玉野市で基礎体力づくりが目的のミニキャンプを敢行する。しばらく本格的な投球はせず、ランニングやウエートトレーニングに励み、たまにマウンドに上がると打撃投手を務めた。ウエスタン・リーグでのデビューは6月17日の阪神戦で、2回1安打無失点。6月28日の阪急戦では、享栄高時代の同級生でドラフト5位の長谷部裕とバッテリーを組み、6回2失点でウエスタン初勝利を挙げた。当時の週べ「こちらファーム情報局」コーナーには、稲葉光雄二軍投手コーチの「まだまだ時間はかかります。じっくりと育てますよ」という慎重なコメントが掲載されている。

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当時の出来事です。

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